われら六稜人【第28回】女性公務員の歩んできた道
    1号線
    北野生活のはじまり
    −苦学?からの脱出−

      これは同期の人でも知る人は少ないと思うのですけど、私は、北海道の小樽の生まれなんです。昔は小樽は余り知られてなくて、歌謡曲かなんかで知られるようになってやっと私の番かなって・・・。小樽には三つぐらいまでいました。親が大阪に転勤して、初めは住吉区に住んでいたんですが、その後、阪急京都線の正雀近くに住むようになって、そこの小・中学校にいきました。私の通った三島中学は、そのころの市町村合併で新設された中学で、当時は一学年11クラスもある大変な大規模校でした。私の時はその中学からのはじめての北野受験で、たった3名で北野に入ったんです。

      北野では、出身中学ではすごい少数派でしたね。ショックだったのは、中学の時に、先生が生徒に質問したら、ハイって手を挙げるっていうのが当たり前だと思っていたから、北野の授業でもハイって手を挙げたら、みんなシーンとして、手を挙げる奴はバカだみたいな雰囲気で、あれには最初びっくりしたな。今の北野の生徒さんたちはどうなんでしょねー。あと、授業についていけなかった。中学までは、授業で先生の言うことは100%理解できたと思っていたんです。
      でも、北野に来たら、先生の言うことが理解できないの。あれもショックだった。ただボーっと聞いてるだけ。だから、一年の一学期の中間テストで、とんでもない成績とっちゃって。そのあとの期末テストでも。だから期末テストの結果が出たとき、もうあまりのことに意識が飛んじゃって、帰りの電車に乗ったはいいけど、乗り過ごして降りられないの。十三から淡路で乗り換えて帰るんだけど、淡路で乗り換えられなくて行き過ぎちゃって、戻ったらまた行き過ぎちゃって、変なところに行っちゃって・・・。本当に動転していましたね。

       
      高校2年生(左端)
      それから、夏休みはたしかすごい宿題出されたんですよ。小・中学校の時から、宿題は100%やるものだと思っていたから、そのまま、全部宿題をやりました。そしたら、成績も回復して二学期には上位の成績になったので、こんなモンなんだぁって。それで少し気持ちがフッと抜けたかな。でもほんとうに最初はどうしようかと思ったんです。
      今から思えばのことなんですけど、勉強できないことから逃げて行っちゃダメかもしれませんね。一度でいいから、夏休みくらいの期間を、猛烈に勉強してみる。まあ、案外それである線をフッと抜ける。そうすると次の壁が今度は自分で見えてくるんじゃないですか。そうなればそれなりの対応ができるようになると思うんです。

      でも、その後も数学はやっぱり全く苦手だった。今はどうか知らないけど、毎日、10問くらい、教室の前と後の黒板に出て、「解法の手引き重要問題編」とか「数学ファイナル」とか、やらされる。指名されると悲劇なんだけど、50人のクラスだからざっと5回に1回は当たるわけなんですね。それも、いきなり大学受験問題集みたいなので。それで、毎日予習しなくちゃならなくて、でも、30分でようやく1問解くのが精一杯でしょ。そんなの10問もやっていたら時間がいくらあっても足りない。だから、英語なんか予習する時間がなくて、授業中必死になって先生の言うとおりにノートに写したりしました。
      クラブ活動は演劇部でした。部員があんまりいなくて。中学の時も演劇部だったの。最初ちょっと弁論部に興味を持ったんだけど、結局、高校時代3年間演劇部にいましたね。

       
      高校2年生の時、校舎前で(右側)
      あのころは、受験自体で男女が差別されていました。クラスや教室の席まで差別されてね。だいたいね、「女と一緒のクラスに入れるから、男の勉強がでけへんようになるんや」って、言われたりして。だから、数学や物理なんか完全に男女分けせなあかん、なんて話になったり。授業やカリキュラムというひとつの公的制度のなかまで、男女差別の体系があった。
      当時は、といっても、考えてみればわずか一世代前まで、そんな男女差別が教育の場ですら当たり前だったんですね。逆に言えば、そういう教育環境のなかで今の私たちの同世代の男性は教育されてきたのですから、そういう意味で、男女差別意識を学校で教えていたとも言えるわけで、これは私たちの世代の大きな精神的な瑕(キズ)だと思うの。印象的だったのは修学旅行ですね。

      実は、修学旅行へ行かなかったんです。修学旅行は女子だけで、たしか九州だったんですけど・・・。女は学校出たら家庭に入るから旅行になんか行けない。男はいつでも行けるから修学旅行は女だけ連れて行く、なんていうとんでもない話があって、しゃくに障っていやだったので行きませんでした。
      そのかわり、皆さんが行く宿舎に、早め早めに着くように葉書を書いたりして・・・。クラスに・・・。



    Update : Jan.23,2000