北野では、出身中学ではすごい少数派でしたね。ショックだったのは、中学の時に、先生が生徒に質問したら、ハイって手を挙げるっていうのが当たり前だと思っていたから、北野の授業でもハイって手を挙げたら、みんなシーンとして、手を挙げる奴はバカだみたいな雰囲気で、あれには最初びっくりしたな。今の北野の生徒さんたちはどうなんでしょねー。あと、授業についていけなかった。中学までは、授業で先生の言うことは100%理解できたと思っていたんです。
でも、北野に来たら、先生の言うことが理解できないの。あれもショックだった。ただボーっと聞いてるだけ。だから、一年の一学期の中間テストで、とんでもない成績とっちゃって。そのあとの期末テストでも。だから期末テストの結果が出たとき、もうあまりのことに意識が飛んじゃって、帰りの電車に乗ったはいいけど、乗り過ごして降りられないの。十三から淡路で乗り換えて帰るんだけど、淡路で乗り換えられなくて行き過ぎちゃって、戻ったらまた行き過ぎちゃって、変なところに行っちゃって・・・。本当に動転していましたね。
高校2年生(左端) |
でも、その後も数学はやっぱり全く苦手だった。今はどうか知らないけど、毎日、10問くらい、教室の前と後の黒板に出て、「解法の手引き重要問題編」とか「数学ファイナル」とか、やらされる。指名されると悲劇なんだけど、50人のクラスだからざっと5回に1回は当たるわけなんですね。それも、いきなり大学受験問題集みたいなので。それで、毎日予習しなくちゃならなくて、でも、30分でようやく1問解くのが精一杯でしょ。そんなの10問もやっていたら時間がいくらあっても足りない。だから、英語なんか予習する時間がなくて、授業中必死になって先生の言うとおりにノートに写したりしました。
クラブ活動は演劇部でした。部員があんまりいなくて。中学の時も演劇部だったの。最初ちょっと弁論部に興味を持ったんだけど、結局、高校時代3年間演劇部にいましたね。
高校2年生の時、校舎前で(右側) |
実は、修学旅行へ行かなかったんです。修学旅行は女子だけで、たしか九州だったんですけど・・・。女は学校出たら家庭に入るから旅行になんか行けない。男はいつでも行けるから修学旅行は女だけ連れて行く、なんていうとんでもない話があって、しゃくに障っていやだったので行きませんでした。
そのかわり、皆さんが行く宿舎に、早め早めに着くように葉書を書いたりして・・・。クラスに・・・。