顧問は奥先生と塚田先生。先生方の「創作ダンス」の研究会にもよく参加させていただきました。 授業中はお手本を見せたりしてお手伝いもしていました。
これが当時の写真なんですが…
実はこの裏書きに、
北野高校七十周年記念文化祭
“泉のほとり”に出演 伊勢豊子
「伊勢」というのはわたしの旧姓です。
主人の「丸野」とは、実は北野の同級生だったのです。
こんなこともありました。
クラスの雑談で話題が「結婚相手の理想像」になったんです。
他の人はみな口を揃えて三「高」(背が高く、学歴も高く、収入も高い…そのうえ美男子?!)のようなことを条件にしていました。わたしが「心の優しい人であれば他に何も求めない」と言うと、彼は「変わってるね」と答えていました。
実際に彼と結ばれたのは大学を卒業してから。わたしは大学の研究室で先生の手伝いをしていたのですが、どんなことでも包み隠さず話すことができ、信頼のおける「同級生」であった彼とは、考えてみれば北野時分から非常に身近で理解しあえる「親友」だったのです。友人というのはかけがえのないものです。
他にも親友はいます。いつ連絡しても仕事や家事の都合をつけて会ってくれる人、しばらく連絡しなかったら心配してくれる人、お互いに相手の立場に立って話し合える人など…素晴しい親友がいます。でも、主人とは「戦友」と言ったほうが相応しいかも知れません。ともに生きてきた、同じ人生を歩いてきた仲なんです。単に北野高校の同窓生というだけでは…たとえば年が違ったりすると…必然、興味の対象も違ってくることもあるようですからね。
そりゃあ喧嘩はしますよ。もめた時は「別行動」です。わたしたち夫婦は年に一度、1〜2ヶ月程度、海外旅行をしていますが、そんな時でも喧嘩はします。ただ、外国ですとホテルには戻ってきますからね。否応なく夜には「仲直り」ですが(笑)。
これは後で両親から聞いたハナシですが…わたしが北野高校在学中に、実は両親は密かに結婚相手を探していたようなんです。そういえば「体育の時間はいつ?」などと、不思議な質問をされた憶えが何度かあるのですが…どうも、わたしが運動場にいる時を見計らって、両親は「候補」の人にわたしの姿を遠くから見せていたようなんですね。
でも、わたしの北野で一番の収穫は「主人」なんですよ。