昭和9年の室戸台風は今でも忘れられんな。芥川小学校の4年生で、わし一人だけ無傷で助かった。2階建てで、古い米材使てたんやな。だからひとたまりもない。ベキベキ言うて2秒で天井が落ちてきた。わしはその2秒で机の下にパッと潜りこんだんや。この素早さ!それで命拾いした。
女の子は「キャー、先生ーっ」いうて悲鳴をあげて走りまわってるんや。落ちてきた梁に打たれて、ようけ死んだんやで。可哀相にな。今でこそ予報というもんがあるけど、当時はそんなもん全然あれへん。想像もでけん。ただただ運が良かってんな。不思議なもんや。
男の子の兄弟4人とも全員北野や。わし2番目やけど、二歳違いの兄貴は北中から京都府立医大へ行って医者になった。今も高槻で開業医してる。この兄貴の真似して、わしも5年生で北中を受けたんやけど…国語かなんかですべってしもた。その時、5年で受けたやつが5人おって、皆仲良くすべったんや(笑)。一応、次の年には皆揃って通ったけどな。
成績も悪いけど、素行も悪かった。「行い」やな…操行「乙」っちゅうやっちゃ。悪いことばっかりしとった。ガキ大将や。
うちは貧乏で自転車買うてくれへんかったんやけど、他人の乗ってきた自転車に乗ってな…乗りとうてしゃあなかったんやな…だーっと枚方から守口まで漕いで行ってさ。へとへとになって腹ぺこで帰ってきたら、女の子が泣いてんねん。「自転車どっか行ってしもた〜」言うて。
善悪の区別というもんが、あんまり分からんかったんやな。まったく盗る心算はないし、ちょっと借りるだけ…乗ってても良いもんや思うとったんや。我ながらどうも、うん、まずかったよな(笑)。
それで立たされてな。職員室で、水を一杯に張った茶碗を両手に持たされて。1時間か…もっと立たされたかな。「ちょっとは性根治ったか」「はい、治りました」言うて。そんなんや、昔は。
ガキ大将の務めは、みんなの遊びを考案することなんや。「今日は陸軍の戦争ごっこやろか」「今日は海軍式でやろう。おまえは哨戒艇、おまえは戦艦や」そんなふうに役目を割り振るわけ。みな、色の紐を持ってて、それで敵味方を識別して、捕まえに行くわけや。一種の鬼ごっこやな。捕まったら「撃沈」ということや。そういう「決まり」「ルール」…「演出」を考え出すのがガキ大将の務めなんや。
遊びを考え出さな、誰も付いて来えへんで。遊んでくれへん。「今日はどんな遊びをさせてくれるか…」みんな楽しみにしてるわけや。そこに創意工夫がいるわけやな。ガキ大将いうのは極めて創造的なシゴトなんやで(笑)。