新婚当時の菊池徹と恵
|
「いいですよ。それで何するんですか?」っていったら「パンを焼くんだ」と。配給の小麦でパンを焼いて、配給の場所でパンを渡すんだけれども…この他に「麦糠」を使ってパンを焼くんですね。これがものすごく不味くて食べられたものではないんだけど(笑)、麦糠そのものが配給外なので自由に生産できたわけです。それを焼いて皆に配ってあげるわけね。
そもそも、なぜそういうことになったかというとね。もともとその工場は仏事用のお線香を代々焼いてた工場だった。それで、人間が入れるくらいのアメリカ製かなんかの大型オーブンが3基あったんです。ところがお線香も売れなくなっちゃったし、食料難だしっていうんでパンを焼くことになってね。
これが良く焼けるんですよ、電気オーブンだからね。でっかいスイッチがついてて、それを入れるとブゥゥーーンって低い唸りがしてね。ある時、そのうちの1基がどうしても電気が入らないって工場の人間が皆わぁわぁ騒いでるわけ。それでボクが「どれどれ」って言って…懐中電灯なんてないからね。ロウソク近づけて見てみたらね…ニクロム線が切れてるの。それで小さな1/8のボルトを持って行ってね、とにかく繋いでさ…スイッチを入れたらブゥゥーーンってね。
「菊池さん、電気のこと分かるんですか?」「ボクは理学士でございます」って(笑)。
それでね、しばらくパン屋さんやってたの。
配給の小麦粉は配給された分しか焼けないですけど、そのあと自由に売れるのが麦糠でやいた真っ黒けのパン。それでも朝5時頃から並ぶんですよ。全員に行き渡らないで、途中でなくなってね。子供を抱えたような人が悲しそうに帰るわけ。
田舎のほうに行くとね。農家には麦糠があって…あの頃はキレだとかパンツだとか持って行くと代えてくれるわけ。それと同時に小麦のいいのが一杯あるわけですよ。「菊池さんこれもどうですか」「いや…実は、頼むよ」てね(笑)。
それをブゥゥーーンって焼いて、なるべく多くの人に…自由販売だからね…なるべくたくさん売ってあげる、ということをしてたんです。
ある日、いつものように仕事が終わってから自転車でパァーっと農家に買い出しに走ったわけです。ところがその帰りにね。坂出市の入り口のところに交番があって、おまわりさんが居るんだけど。ついに見つかっちゃってね。
「ピピーッ!それ何や?!」
自転車の後ろの箱にそういうのが一杯入ってる。黒いの(麦糠)は構わないんだけど、白いの(小麦粉)は統制品だからね。「これ、何や?!」っちゅうわけ。何度か見つかりましたよ。しょうがないから今度からは焼いた白いパンをね。前を通る時に「ハイ、これあげますから…」ってことで、ポンとおいてバァーッと走っていくわけ。それで帰りは問題なし。収賄だよね、これ。北野出身でも悪いことしてるよね(笑)。
この親父の会社で雇われ役員を1年半ぐらいやったかな。その後、商工省の地質調査所というところから「定員が一人空いてるから来い」ということになった。もともとボクは役所に入る心算は全然なかったんです。基本的に「役所」はあんまり好きじゃない。親も親戚関係にも役人はいなかった。だから役所勤務ってことで最初は悩んだんだけど、背に腹は代えられんわね。給料くれるっていうんだから。
それまでにボクは四国で結婚してるんです。札幌の女性とね。実は大学の頃の知り合いだったんだけど。終戦後、結婚するくらいしか他にすることがなかったからね(笑)。遊ぶにしてもパチンコがあるわけじゃなし、映画も今ほどいいのが選べるわけじゃないしね。そうそう、コンピュータも無かったし(笑)。あんな面白いものがあったら結婚できないよね。
それで東京に出て…それが27才ぐらいの時かな。その頃から、南極と山登りが混がらがってくるんだよね。通産省に入ったのはいいんだけど、心は山に向いているわけですよ。考えてみたら悪い従業員を雇ったものだよね、かなり(笑)。