それで…近隣の弱そうな高校を集めてリーグを新設した。盾も俺が作ったんだ。それが「北摂リーグ」のはじまり。さすがに狙い通りというか…このリーグでは負け知らずだったと思う。そこで選手は「勝つこと」を覚えはじめた。
いっぽう、野々村先生が高体連ラグビーのほうで忙しくなられて、校内でクラブを見ることが困難になってきた。次第に俺へのシフトが重くなるなかで、戦術的には普通、両サイドにウィングが並ぶのを、俺は一直線に並べるように指導したんだ。これには野々村先生から「何すんねん」とひどく怒られたけどね。
それでも、25分ハーフで10分くらい持つようになった。誰も後ろにおらへん…けど、そこで止めたら何とかなる式の「背水の陣」戦法やな。そんなくだらんことをやってるうちに、野々村先生にも理解していただけるようになって…。
往時はね、キャプテンを監督が決めたりした時には猛反発を喰らったもんだ。しかし、近頃ではそれも無くなって。その分…自主的な考えが無くなったのかも知れん。軟弱になった。ま〜とはいえ…生徒というのは、言われたことは完璧にこなせるけど、自主性というのは今も昔もあんまり無かったのかも知れん。そう割り切ってしまえば、あとは指導の仕方で何とでもなる。俺も…あの優勝までに10年ちょっと、かかったしな。