前の年に…その頃は大阪工大の全盛期で、そこに秋の大会で当たった。27対0の大敗だったけど…大阪工大が一番点を取ることができない相手が、実は北野だった。他の高校は50点、60点…取られましたからね。それで、ちょっと自信を持ったんじゃないかな。そのあと、春の大会からは暗示でね…「よし15分間、点をやるな。それから3点取ったら勝つ」とね。春を勝っておくと、3回戦からのシード校扱いとなるんで、楽になる。このとき助かったのが、95期くらいの諸君がずっと面倒を見てくれたこと。「自見さん、全国大会に出ましょう」ってね。
その時は「牧野高校(当時は強かった)には負けるかな…」くらいの気持ちでいたんだけど、その前にあたった強豪に勝ってしまったンで、次の牧野は楽勝だった。そういえば、この頃の応援団に恐い父兄の方がおられたナ。
それとね、後で聞いたハナシ…当時の新聞のエピソードなんだけど。「牧野」が出たら赤と黒の2色刷り、「北野」が出たらカラー紙面…となってたそうだ。関西のスポーツ紙のカラー化の走りが…実は北野ラグビーの全国出場が引きがねだったらしいンだな。
当時、各紙が書き立てた「北野のフォワードは全国で2番目に軽量」という記事…あれはインチキでね。一番軽かったんだよ北野は。俺があとで訂正記事を出したけども…とにかく、こちらは軽いので押したら絶対負ける。体力だけで言えば、相手が絶対的に強いンだ。けれども、スクラムの基本姿勢でじっと耐えていたら…実は押さなくていいんだな。そのうち相手が息切れしてくる。そこを狙う。
淀川の堤防斜面を使って練習したね。低学年を上にして、高学年に下で耐えさせる練習をね。見ているコーチとしても、スクラムの姿勢だけチェックすればいいんでね。じっと止まっているだけなら、余分な力はいらない。相手が100、こちらに80の力しか無いとすれば、60の力でじっと耐えさせる。それで相手の力の減衰を待つんだ。
大きなからを持った相手には、この戦法が非常に有効でね。「押す」よりも「持ち上げ」て敵の力を宙に浮かせ、逃がしてしまう。そりゃ真っ正面から当たると絶対に負けるしかないからな。
まぁしかし、さすがにあの時は俺も有名人になっちゃって…新聞記者に追いかけまわされて5kgは痩せたよ。OBとも遅くまで付き合いましたしね。深夜の2時になっても寝かせてくれないんだよね。ただ…全国大会の初体験で、正直、俺も浮かれてた。あれは2回戦が終わったときに一度、選手を家に帰らせるべきだった。閉じこめて合宿していたために、余裕も無くなって、どうもみな寝つかれなかったらしい。
3回戦の伏見とは最後まで12対12の互角だった。土壇場で薬師寺がちょっとしたミスで点を入れられて…。もう、唖然としてたな。スタミナも無かったのだと思う。ノーサイド寸前だったしね。惜しいといえば惜しい試合だったけれど…応援がね。「こんなにも沢山の六稜生がいるンだ」と再認識したくらい…黒山の人だかりで、選手も相当ヤル気を出せたンだと思う。街を歩いていても知らない人から声をかけられて喜んでたからね。
思い出すね…。
あのメンバーは当時から仲が良くってね。何かあると、すぐ弓場のところに集まっては飯を食わせても貰ってたみたい。
ちょうど今が一番会いにくい時期でね。就職して、みな忙しくしてる。大学生の頃は、よく団体で来てくれてたけども。栗山は東京海上のクラブチームで活躍してるし、吉田は結婚したナ。橋本、宮内も結婚して…一見、ワルそうに見えていても大人しい連中でね。牟田もサントリーで社会人として頑張ってるようだし。