ところが、原子力安全委員だけでなく、東海村在住の原子力関係者の誰もが、臨界が続いているとは理解できず、呆然と時間を過ごしていたのです。ようやく6時間後に2キロ遠方の環境中性子の測定器により臨界が続いていると分かりましたが、その後もどのように対処してよいか分からず、時間ばかり経過しました。沈殿槽の周りの冷却水を抜けばよいと気づいたのは12時間後でした。そしてその作業の開始は事故後16時間も過ぎていました。 臨界が続いているかどうかは、強いガンマ線が出続けていることから分かります。これは原子力の初歩的知識です。これさえも理解していなかった日本の原子力のレベルの低下は目も覆うばかりです。この16時間余、強い中性子線に近隣の住民は曝されることになったのでした。
今回の事故で、中性子線により強く被曝した作業員3人の線量は、致死量の10シーベルト程度が2人と放射線障害の5シーベルト程度が1人と考えられています。この被曝者に、中性子爆弾を持つ国々は大いなる関心を寄せました。中性子被曝の動物実験は済んでいますが、人間の実験はできていないからです。外国人が多数来日しましたが、治療方法とその効果は彼らにとって重要な軍事情報となったに違いありません。
近隣の住民の被曝は基準値の1ミリシーベルト以上の者が約100名です。臨界が続いていることを当局が早めに察知し、住民を避難させ、さらに自動運転状態の裸の原子炉を適切に止めていれば、これほどの被曝をしないでも済んだのでした。
この事故の被曝は主に核分裂の中性子によるものでしたが、放射能による被曝も受けています。それは事故発生の建物のすぐそばの建設作業場にいた7人です。短い半減期の放射性ヨウ素134などの煙に襲われ、頭痛や吐き気が生じています。しかし、医師たちはこの人達の訴えを気のせいと無視してしまいました。