吉田先生がおっしゃるには「地学の教科書で教えるのではなくて、何よりも生の授業をしたい。本物を見せたい…それが真の教育ではなかろうか」と。実際に北野から天文学の道に進まれた…家さんや船越さんといった先生がおられますが、お二人とも「北野の屋上の望遠鏡がルーツだった」とおっしゃっています(笑)。
国立天文台の家先生は、既に昨年この『われら六稜人』に登場されていますし、京大飛騨天文台で永年ご活躍された船越先生も(残念ながら昨年、食道癌で他界されてしまいましたが)生前より「北野天文台」についての熱意を語られていました。
船越先生の遺志を継ぐという意味でも、将来「この道に進んでみよう」と思う生徒が出てくるためにも、せめて望遠鏡のひとつを母校に恩返ししたい…というのが私の切実な願いでもあります。
今では架台のみが屋上に残されている。 この校舎も来年には姿を消すことになる。
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もちろん、私が連絡を取れる人とは連絡をとりあって、まず、学校の地学科と地学部OBを中心とする建設委員会を立ち上げたいと思っています。どうか、地学部に限らず…ご賛同いただける方の御協力を広くお願いしたいと思います。