我々の学年は6クラスで293名でした。丁度、国家総動員法が公布された時代で、入学試験は国史1本でした。どういう問題だったかはよく覚えていませんが、論文形式で今のように○×式ではなく、答案用紙にとにかくいっぱい記入したことを覚えています。
入学してほどなく、日本が徐州を占領したのを記念して「徐州陥落祝賀」の提灯行列に参加したこともよく覚えています。長坂校長が訓話の中で「本当は去年、南京陥落の時に提灯行列をするつもりだったが、まだ時期尚早ということで今日まで我慢しておった。だから提灯は去年から用意してある…」というクダリをお話しになって、これを聞いた全校生徒がどっと笑ったんです。
当時の北野生の服装はゲートルを巻いていましてね。陸軍式のぐるぐる巻き付けるやつじゃなくって、いわゆる海軍式のパチッとボタンで留める奴ですから簡便でした。それで全校生徒が行列に繰り出したわけです。
また当時は北野ラグビーの黄金時代でもありました。1年生の時に天王寺との対抗戦の応援に駆り出されて(全校生徒がですよ)見に行ったんですが、凄い試合でノーサイド寸前に北野が逆転のトライを決めて勝ちました。その後も3年連続で全国大会に出場したりして、ボクもよく応援の練習をして花園へ出かけたものです。
まだ戦争の影響もそんなになくて、軍事教練なんて科目も確かにありましたが甘いもんで、体育は普通の体育をしていましたね。そうそう、今でも続いている「断郊競走」…あれでボクは30位くらいに入りましてね。全校生徒の中で30位だから大したもので、平石先生(ピンタ)がやって来て「君は陸上部に入れ」なんて言うんです。結局入りませんでしたがね。
陸上をやったのは高校に入ってからですが、2年生までは剣道部に所属していました。ところが「遊び」のほうが忙しくなって…カメラに凝ったり、自転車で夙川界隈を走り回ったりと、その程度のあどけないものでしたが…2年生で辞めました。たった2年間の剣道部生活でしたが、今でも剣道部のOB会には担ぎ出されています(笑)。