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だから振り返って完全にバラ色の青春を語るひとがいますが、僕の実感として、そういうのは嘘だと思う。また逆に完全に真っ暗闇の青春もやっぱり嘘だと思う。それはもうどんな時代であってもね。そんなふうにいいわけしては、いけないと思う。何が愉しくて、何が苦しいかは、それこそ人それぞれでしょう。高校時代というのは、その分かれ目の時代なのではないでしょうか。
たとえば数学がご飯食べるより好きな人は、数学の問題を解くことが好きで好きでしょうがなくて、たぶん数学の勉強がものすごく苦痛である人の気持ちはわからない。わかる必要もないんです。英語もおなじでしょう。僕は数学とか英語とか、普通の科目の勉強では、そういう愉しみは特に見い出さなかった。
リスクの一番最初の入口ぐらいな話
現役の北野生に言うとしたら、どんなことでも100パーセントの愉しみはないし、100パーセントの不安というものもありません。必ず苦しいことの中にも愉しみはあるし、逆もそうです。そりゃあもう、そうできてるんですよ。僕はそんなふうに世の中とか、身の回りのものごとの成り行きを理解しているんですけれども。だから、あんまり愉しいことが続いたら警戒した方がいいし、あんまり苦しいことが続いたら喜んだ方がいい。
ただ、先行きがよく見えないところで、高校生だから勉強が一応本業で、そこに集中的にかかるストレスというか、不安度っていうのは、それはやっぱり非常に大きいでしょう。僕もそうでした。でもね、それは形を変えながらも、人生ずっと引きずってゆくわけです。やっぱり死ぬまでそういう不安は抱えてゆく。普通に勉強してれば点数取れるっていう世界から、違ったところに放り出されて、どうすればいいのかわかんないってなるわけですけれども。
希望の大学へ入っても、希望の会社に入っても、たぶん不安がなくなることはありません。まあ、僕みたいな職業は特にそうですけれども。先行きどうなるかという不安は、増えることはあっても、減ることはないと思うんですよね。どんどんどんどん自分で決めて、自分でリスクを負ってやっていかないとしょうがない。その一番最初の入口ぐらいな話じゃないかなと思うんですけどもね。