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世界一の音楽家
むしろ、学校の他に楽しいことがたくさんありました。当時NHKで日曜日の朝、「あなたのメロディー」という番組が放送されていました。作曲して応募して、審査に通ると、本職の歌手が歌ってくれるという番組です。中学2年の終わりに「世界一の音楽家」という曲を、作詞作曲して送ったんですね。そうしたら採用されて、もう亡くなられましたが、友竹正則さんという方が歌ってくれました。非常に空想的な、つまりは誰も知らない、世界一の音楽家がいる。歌詞の中では音楽家たちの実名を挙げて、ショパンだとか、カラヤンだとか、そんな連中には絶対負けない、という歌です。
番組の担当者には、曲がいいというより、きっと着想が変わっていて、おもしろがられたんでしょう。中学生を本人ひとり呼ぶわけにもいかないから、親も付き添いで東京渋谷のNHKにでかけました。番組収録後、渋谷のホテルに一泊し、翌日は浅草、鎌倉を見物して帰りました。中学生なりに大名旅行という感じでした。
音楽環境はですね、幼稚園で開かれていたヤマハ音楽教室で一緒に習うというのはありましたけど、ちゃんと習ったのはその2、3年だけです。後に大学に入ってから自分の意志でバイオリンを専門家に習ったり、二胡(アルフー)という中国の弦楽器を習ったりしましたが、子どもの頃はそのヤマハ音楽教室に行っただけです。でもNHKに応募したときは、ピアノ伴奏譜も付けたんですよ。アレンジャーが間奏部分に、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークとか、ベートーベンの運命の出だしとか、有名な曲を入れて、いかにも指揮者がいたほうがいいような編曲だったので、番組のな中では指揮もしました。妹がピアノを習っていまして、家にはピアノがあったんですね。「習わせてくれ」と言った記憶があるんですが、結局習わせてはくれず、勝手に遊んでいるうちに、そうなったという感じですよね。
こんな風におもしろい経験があったので、高校では楽器を何かやりたいなと思っていました。クラシックについては、全然何もなかったんです。素養というか、特別な関心。ジャズや軽音楽のクラブがあれば、きっとそちらに入ってたんじゃないかと思うんですが。今はブラスバンドがあるようですが、当時、北野高校で楽器を触れるクラブっていうのは、オーケストラしかなかったんですよ。それで、まあ何というか、楽器が触りたいから、オーケストラでも入るかという感じでした。一番最初は何もできないんで、ティンパニを叩いて、それからバイオリンとビオラをやりました。一切ゼロからのスタートだから、4、5歳から習ってきた上手な同級生に教えてもらって、少しずつ練習しました。
オーケストラは卒業までやりました。NHKの大河ドラマで「花神」という番組をやっていて、そのテーマ音楽が好きだったんですね。それでテープに録音して、スコアをコピーし、部内の演奏会で試しにやってみたり、ファンファーレを作曲して、金管パートが2年のときの体育祭で演奏したり、ひとりではなかなかできない愉しい経験をしました。