ええ。どういうことかと言うと、本を読むのはやっぱり、その年頃の子どもにとっては、結構大変なんです。一冊読むのはわりと苦行なんですよね。だったら、読まなければいいんだけど、苦しいのに読むと、読むだけで大変なんですよ。書くのはそれの何十倍、何百倍大変だということは、もう容易に想像できる。よくそんな馬鹿なことする人がいるなって、ちょっと信じがたい大変なことをやるなって、そんな気持ちで猛烈に憎んでいました。それで、本は結局読むんですけれど、読み終わって、よくもこんなに浮き世離れをしたエネルギーを投入して、こんな馬鹿げたことをする人が世の中にはいるもんだ、という独特の感情を一冊読む度に持っていたんです。
愛の反対語は無関心
今ではわかります。愛と憎しみは同義語です。愛の反対語は、たぶん無関心でしょう。愛と憎しみはわりと近い感情で、ものすごい興味関心や、思い入れのあまりの深さが、愛情になったり、憎しみになったりする。ものを書いている人や本を書いている人がいる、そういう職業の人が世の中にいるということは、僕が本を読み始めた頃から非常な関心事だったんでしょう。その感覚的な表現として憎しみになったんだと思います。それで、小学校の初めの何年間か、本を読みながら作者を憎しみつづけた時期があったんです。
小学校のクラスに今でもあるかも知れませんけど、学級文庫っていうのがあったんです。図書室なんかに行かなくても何冊かの本が置いてあって、休み時間とか、読みたければ読めるっていう本棚が、各クラスにありました。
この子はどういう子なんだろうか
それが小学校5年生の終わり頃でしょうか。ある物語の中で僕は、いろんな障害を持った人をたくさん主要なキャラクターに出したんです。目が見えない人とか、耳が聞こえない人とか、しゃべれない人とか、いろんな事情で。みんなそこにいるわけです。そうするとその人たちが一つの出来事に出会ったときに、理解するすべが違うわけです。だから、その人たちは、いろいろと話し合う。目が見えない人は聞こえる音と触感で今何が起こったか理解する。見える人はそこで見えたことを言って伝えることはできる。けれど、聞こえない人には伝わらない。完全な三人称物語として書いたんです。
そうすると小学校のなかで非常に問題になって、この子はどういう子なんだろうかと。そういう体が不自由な人たちを揶揄するような差別的な物語を5年生ぐらいで書いて、この子は一体どういう人間なのかと、ものすごく怒られたんです。
今なら対抗する言葉がはっきりとあります。これは差別的な物語ではなくて、人間が本質的な現象と接する物語で、それぞれに異なる人と人とが本質的な理解を求める物語だ、というような。でも、小学5年生は、それは違うと心のなかで強く思うしかないんですね。その時のやりとりのなかで、彼ら−先生たちですね−には、わからない、自分の書いているものを理解できないと思ったんです。そんなことがきっかけで、当時読んでいた「SFマガジン」という雑誌のコラムの同人雑誌の仲間募集に応募を始めました。こういう人たちなら、自分の書いているものを理解してくれるかもしれないと感じて。いくつか手紙を書いたりしたんですけれども、まあ大体だめなんです。「小学生なんか入れられない」、「もし君が高校生になってまったく同じ心を持っていれば我々は歓んで迎えるでしょう」、「小学校5年ではとても仲間にできないと」、そんな返事ばかりでした。
筒井康隆さんとの出会い
ところが、当時「SF教室」という児童書がありまして、筒井康隆という人の編著でした。その最後の方に「君がもし何か書いておもしろいと思ったらいつでも送ってくれ。ただし、弟子にしてくれというのだけはごめんだけど」と書いてあったんです。
筒井康隆っていうのは自分でも読んでいて前からおもしろいと思っていたので、学校の先生に見せるのとは違う気合いで書き始めたんです。子どもながらに、ものすごい超大作になる予定で、これはとても時間がかかるから、きっと筒井さんはああ書いてあったけど、できて送ったら自分がそう書いたことを忘れて一体何だこれはと思うかも知れないと思ったんです。そこで、まず手紙だけを書いたんです。「僕は長い物語を書いています。まだしばらく時間はかかります。できたら送りますから、おもしろいと思ったらいつでも送ってくれ、と書いたことを忘れないでください」という手紙を。
実際に小学校6年生ぐらいの時に原稿用紙400字で100枚ぐらいまで、その物語を書いていたんですね。その物語は結局書き終わらなかったんですけれども、小学校6年生のあるとき筒井氏から手紙が来たんです。「同人誌をやるんで君も入らないか」と。ものすごくうれしかった。だって他はみんな断られてましたから。それでその同人誌に入ったんです。小学校6年の最後のほうですよね。
その発刊から休刊までの4年間は、僕にとっては、小学校6年から中学校3年まででした。枚数に制限があって、ショートショートって20枚くらいの短い小説を送ると、筒井氏が必ず自分で批評を書いてくれました。何行でもない、そんな長い批評ではないですけど。僕は『ネオ・ヌル』にいたときは、ずっとかかさず送っていましたが、筒井氏もかかさず、今回の小説はこうだとか批評を書いてくれて、やっぱりうれしかった。