われら六稜人【第3回】

    伝統を守る…2人の選択



      金融ビッグバン、外国為替法改正…バブル崩壊以後の揺れる日本経済に翻弄されながらも、先祖より代々託されてきた伝統を、如何にして後世に伝えるか…。そんな選択に迫られた、ある六稜人の決断。

      今回は、以下のお二人に焦点をあて、決断に到る心境の経緯を語っていただきました。

      ●INDEX


      商家の屋敷を遺す … 内藤壽一氏(61期)の選択

       大阪天満宮のほど近く、画廊や骨董商の建ち並ぶ老松通りに面した、典型的な商家の町屋住宅…それが内藤邸である。明治43年上棟のこの屋敷は、NHKの朝の連続テレビ小説「ぴあの」の舞台として一躍有名になった。
       両替商を興した祖父は百三十銀行(後に安田銀行と合併)頭取を務めるほか、鉄道(現在の近鉄道明寺線)のオーナーでもあり、財界引退後には六麓荘の開発にも携わられるなど…いわば大阪経済界の有力者であった。
       そんな当主が当時、棟梁になりたての若い職人に初仕事として任せたため、誰の作かは未だに不明である。ただ…どの部屋を見ても同じ造り、同じ建具のものがないというほど、才能ある棟梁の腕が十二分に発揮されている。


      庄屋の屋敷を遺す … 西尾清司氏(77期)の選択

       上皇の所領として栄えた「仙洞御料」…その庄屋を代々務めた西尾家の屋敷が、いまも吹田市にある。明治維新で御料が廃された後も、西尾家は地域文化の発信地であり続け、1,400坪の敷地に残る母屋、離れ、茶室、庭園、そしてそこにしつらえられた家具調度の数々は歴代当主の幅広い文人墨客との交流を物語っている。
       とりわけ1926年に建てられた離れは当時アールヌーヴォーやウィーン・セセッション建築を日本に紹介した建築家武田五一の設計で、日本的な意匠の中にステンドグラスなどの西洋的な建築要素が見事に融合している。



      協 力●菅 正徳(69期)、橋本泰明(77期)、富田昌宏(78期)
      取 材●石倉秀敏(84期)、佐伯新和(98期)、谷 卓司(98期)


    Update : Nov.23,1997