機能的にはあと50年は住めるのです。にも関わらず、この家の寿命は私と同じ…。ならば、私がいなくなったあとに取り壊されてしまうよりは、先祖が「こうして欲しい」と望むであろうことの例え10分の1でも…私自身が手をくだして後世に伝えていければいいのではないか、そう考え直したのです。
大阪府に寄贈すれば建物は残るかもしれません。しかし、人が住んで、呼吸してこその建物であって「飾りモノ」の屋敷を残しても仕方ありません。畳なんか…人が踏まないと腐ってしまうんですよ。ガラスケースの中では家が死んでしまいます。この家を、たとえ部分的にでも残すことができるなら…私の決断にかかっていました。
「この家を潰してしまって良いでしょうか?」
私は先祖に「相談」しました。
「もし絶対ダメだと言うなら…夢枕に立って欲しい」と。
結局、誰も現れなかったので、私は自分の考えに従うことにしたのです。
「なぜ、あの家を壊すのですか?」
「保存の申請でもなさればよろしいのに…。」
皆さんがそうおっしゃいます。他人事ですから。
確かに、私の生きている間に保存が決定すれば良いのですが、そういう物事をお役所が決めるには非常に時間がかかります。その間の維持費もバカにはならないのです。だから、行政が何とかしてくれる…と期待するのは、的外れなことだと思います。
「この文化遺産を残すためなら、私の税負担がUPしてもいい…」
市民ひとりひとりにそのような感情があるなら、行政の対応も早いと思います。しかし実際、市民各人がどこまで経済的に参画することができるでしょうか?
建替え後の新ビルの最上階に、前栽のある二間続きの和室を設け、旧邸の部材(建具、長押、天井材など)も再利用(部分保存)して…住むことによって「命を伝えてゆく」つもりです。
「ぴあの」の家がなくなる…と聞いて、報道関係者が連日のように押し寄せ、取材に来られましたが、なかなか私の思いを伝えるのが難しくて苦労しています。
そうそう…新ビルの屋上に、地域の人々に時を告げる時計台を設置しようと考えています。これはデジタルではいけません。針のものでないとね(笑)。