われら六稜人【第36回】漢字に魅せられて…漢字学の楽しみ
第一画
塾なんかありませんでしたから遊ぶたい放題でしたね。そういえば「ベンキョ学校」と呼ばれていた塾がありましたね。今で言えば補習機関でしょうか、学校の授業についていけない子供がこっそりと行くようなところでしたね。でも町なかのガキどもにはそんなところに行く殊勝なやつなんかいませんし、学校から帰ってきたらカバンを放り出して、すぐに原っぱへグローブとバットを持って駆けつけるというのが、私たちの日常でした。
ところがやっかいなことに「お手伝い」という関門がありましてね。商売をしている家では、子供が家の稼業を手伝いをさせられるわけです。それをしないと開放してもらえない。原っぱへ早く行かないと、いいポジションも打順も取られてしまう、しかし仕事がある。そのジレンマみたいなのに陥って、結局両立させるためには家の手伝いを早く片づけて行かなければならない。思えば、けなげな少年時代でしたね(笑)。
写真提供:中西印刷株式会社 |
もうちょっと学年があがると、必要な活字をケースから取り出す仕事が与えられました。だいたい冬は年賀状、夏は暑中見舞い、それ以外は引っ越しの挨拶とか名刺やチラシとか、そういうのが得意先から出てきます。最近の年賀状はずいぶん言葉が簡単になっていますけど、昔の商店のオヤジさんらが出す年賀状は「毎々御厚誼を忝なくし」とか「一層の御指導御鞭撻を」とかの決まり文句が多かった。「御鞭撻」というようなことばは、中一の時くらいから知ってましたね。大人が使うそういう難しい漢字を平気で口にしたり、作文に使ったりする子供だったから、担任の先生はきっとやりにくかったと思いますよ(笑)。
Update : Oct.23,2000