大阪・川上利兵衛氏旧蔵
杉元仁美
酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員
−櫻に因む蒐集品控より−
『蒔絵の品はダイアモンドのやうに上下の品質と大小との懸隔が甚だしく、つまらないのと実用に遠いと思って従来あまり買わなかったが、あまり蒔絵の感じがいいのと、肉筆の桜の書状等の文献の容物として買ふ。少々の傷みはあるが旧川上家蔵と言ふことも気をよくして買った理由の一つである。』
蓋の表面全体と身の側面には、流水に浮き沈みしながら流れる桜を配している。紐金具にも桜が刻されていて、春のたよりをはこぶ文箱といえそうである。金の平蒔絵の桜に、一部の桜の花弁の筋には細線の部分だけ残して描き粉を蒔いて溝をつくる描割【かきわり】の技法が用いられ、流水には絵梨地【えなしじ】、波頭には銀蒔絵が、蓋と身の内側全体には梨地【なしじ】が施されている。描かれている桜の数は蕾を合わせて95ケある。
<蒔絵の歴史・技法>
蒔絵は漆工芸の一技法である。奈良時代には各種の漆技術が行われ、その多くは中国の技術を伝えたものである。平安時代には金銀の<研出蒔絵>(とぎだしまきえ)が全盛となり、貴族の調度をはじめ、建築装飾にも蒔絵が用いられ、鎌倉時代には蒔絵の基本的な技法が完成し、鎌倉後期〜室町時代には<高蒔絵>(たかまきえ)の発達によって誇張的な表現が行われた。桃山〜江戸初期にかけて「蒔絵」の基本的な技法となる<平蒔絵>(ひらまきえ)がこの時代に全盛期となる。<平蒔絵>は絵漆で文様を描き、乾かないうちに蒔絵粉を蒔き、乾燥後文様の部分にだけ漆を塗り、椿炭や炭粉で磨いて光沢を出す。<研出蒔絵>は平蒔絵したあとに、透漆又は黒漆を全面に塗り、よく乾燥した上を木炭で文様を研ぎ出して、摺漆を施し油と砥の粉で磨く。<高蒔絵>は適当な高さに文様を盛り上げて、その上に<平蒔絵>を施したもの。