笹部桜考(45)
    笹部コレクション(15)

    《三熊派シリーズ2》
    糸桜図
    【いとざくらず】

    一幅 絹本着色
    寸法:縦110.0×横30.1cm

    杉元仁美
    酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)学芸員



      <櫻に因む蒐集品控>より
      昭和45年有村忠雄書画店にて買入。

      三熊露香【みくまろこう】 生没年不詳
           三熊思孝の妹。画は思孝に学び、且つ好んで桜を描いていました。一説には四条派の祖・呉春(松村月渓)に従って「桜画」を学んだともいわれています。思孝亡き後、桜画の継承者となった露香は、思孝の「桜花三十六帖」(桜花帖)より臨写した「櫻華藪」(寛政9年・1797)と先にも述べたこの帖中の序跋「…紀州候へ一帖奉り並びに此帖と二品より外に我國になし」と記載されていた一帖は、三好学が調べた所では「紀州家にはない」と言われています。あとの二品は「櫻華藪」の姉妹花譜とも見られる醍醐寺霊宝館所蔵の「倭花名品」(一巻)、吉野山喜蔵院所蔵の「花譜」(寛政8年・ 1796、一帖)の桜画譜が現存しています。これらの作品には、当時の公卿衆の筆なる序文、画賛、外題が寄せられています。

         露香の「桜画」は、兄思孝の画風を着実に引き継がれ、墨又は藍の一色のみで描いたものが多くみられ、<墨桜>とも言うべき文人好みの軽妙な筆のタッチで露香独自の「桜画」を描いています。

         露香のはっきりとした生没年はいまだ不明ですが、兄の思孝と博学多芸で名の知られた大阪の文人―木村兼葭堂(酒造家でもある)とも深く親交を重ねていたらしく、兼葭堂の日記の中に思孝の名前が度々登場することから、露香もまた兄を介して兼葭堂と知りあい、兄亡き後もつきあいが続いていました。しかし、享和元年(1801)5月の記録を最後に露香の名は、兼葭堂の日記から消えているらしく、大田南畝の聞き書きには、露香は寛政末(1800)には没したとあるから、先の事実と合わせて、露香は享和元年頃にこの世を去ったものと考えられています。


      協力:西宮市笹部桜コレクション(白鹿記念酒造博物館寄託)
      Last Update : Aug.23,2000