伊丹の精苗園にて。北村正信氏と久保武久氏。 六稜が預けてある笹部桜の苗木(約30本)の傍らにて |
小林一郎
(78期)
99・11・26 こばやし→ WEBML 笹部桜と荘川桜
北村正信さん(85期、茨木高校生物科教諭)から笹部桜の苗を分けて欲しいとのコンタクトがありました。 笹部新太郎(17期)の業績のハイライトである荘川桜の移植を指揮した高碕達之助が茨木高校の出身で、同校には記念の荘川桜が植えられていますが、それと並べて笹部桜を植えたいということでした。北村さんは「櫻男行状」に感激されて笹部さんの生き方を顕彰すべく両方の高校の関係者として動かれています。78期が始めて現在同窓会が管掌し、業者に委託している20数本の苗のうち2〜3本の提供を申し出たところ、茨木高校側(校長、技能員の了解済み)はたいへんよろこばれて今年中に下見、来年始めに移植という段取りになりました。この経緯をさきの植栽委員会で報告したところ出席者一同(小森教頭、井上事務長、鎌田、山中、下村各先生、山本副会長、菅常任理事、小寺植栽委員長、小林78期、鈴木78期)こちらサイドも全員賛成、是非貰って欲しいとの事。今後小林、鈴木が北村さんと連絡をとって進めて行きます。
笹部桜と荘川桜の両方を植えているのは他にも川西の東洋食品短大が有りますが、この学校は高碕氏の創立になるもので、やはりもともと荘川桜が植えられていたところに笹部桜を後で並べたものですが、これにも64期の小松美博さん(当時同校講師)という六稜生が尽力されたものです。こうした経緯も今六稜WEBに連載中の「笹部桜考」に取り上げて行きたいと思っています。なお絶版になり、おまけに出版社が倒産してもう手に入らないと思っていた「櫻男行状」ですが、東京の古書店にまとまって残っているとのこと、欲しい方は電話して確かめてみてください。
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2000・2・17 こばやし→78期ML 笹部桜の嫁入り
昨晩、茨木高校の生物教諭85期北村正信さんから電話で報告があり、16日に笹部桜の苗を2本無事に構内に植樹したとのことでした。4年前に鈴木が言い出して始まった78期の笹部桜分科会の活動で、本家の母校の工事が遅れ気味で伊丹の精苗園に預けたままになっている78期が手がけた30数本の若木が初めて世間に出て行きました。 当日は校長先生や技能員も立ち会ってボランティアで駈けつけた精苗園の久保さんの指導の下に土質や肥料もきっちりと按配して、一本は生徒通用路の時計柱の横に、もう一本は学校裏側の旧河川の土手にあたる場所に植えたとの事。これで茨木高校には荘川桜と笹部桜の2種類の所縁の桜が揃って、高碕逹之助と笹部新太郎という二人の物語とともにその美しさを競い合い続けるでしょう。北村さんは78期の皆さんに感謝の気持ちを宜しくお伝え下さいとのことでした。彼は最近パソコンを始められたそうなので、是非六稜MLに入会して六稜全体にもこの経緯を報告するように勧めておきました。
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2000・2・20 北村正信→六稜ML 茨木高校への笹部桜移植について
茨木高校に笹部桜を移植させてもらった経緯について簡単に触れておきます。茨高は北野に次いで古い学校で、1995年で創立100周年を迎えました。それに伴って同校敷地内に新校舎の建設が予定されたのですが、弥生時代の遺跡の出現等で計画が遅れ1997年春に新校舎が完成しました。それに伴って校庭に翌年の1998年春に植えられた樹木の中に、茨木中学4回卒の高崎達之助氏の縁の桜(通称、荘川桜)の苗木がありました。この桜は、昭和35年(1960年)に岐阜県北部の御母衣(みほろ)ダムの水底に、村落とともに沈む運命にあった2本の樹齢約400年の巨大な桜のクローンです。高崎氏は初代電源開発総裁として「人の力で救えるものはなんとしても救いたい」一心で、不可能といわれたこれらの老巨桜の移植を考えました。そして、その移植を当時の桜研究の第一人者、笹部新太郎氏(北野中学17回卒)に依頼されたのです。そのあたりの経緯は笹部氏の著書「櫻男行状」(双流社)に詳しく書かれています。(高崎氏は戦前、満州重工業の副総裁として満州に赴き、戦後は在満邦人の救済の責任者として、また経済最高顧問として満州の工業力復興に最後まで協力されました。これらのことが周恩来らにも信用され、後のLT貿易の成功に結びついたのです。また日ソ民間漁業協定の締結でも尽力され、根室地方の漁民から感謝されるなど政治、経済、産業など多方面で多大の業績を残された方です。) そこで笹部氏に興味を持った私は、神戸岡本の笹部邸に長年の品種改良の結果、偶然実生から生育した笹部桜の存在を知ったのですが、時すでに遅く、その桜は、残念なことに1998年の秋には枯死してしまっていました。ところが、北野高校にもこの笹部桜があります。それで、笹部氏の愛したこの桜「笹部桜」を是非「荘川桜」とともに茨高生にも見せて、先人達の生き様の一端を紹介したい衝動に駆られたのです。このような次第で、本日(2000年2月16日午後)関係者の方々のご理解とご尽力により無事に移植が終了しました。 今後、末永く茨木高校の校庭でも多くの人に鑑賞され愛されて生育していってくれることを願っています。そして、大阪の公立高校として両校がますます発展していくことを見守っていってくれることを期待しています。 なお最後になりましたが、移植に関して、笹部桜の苗木を大切に育てて下さっている伊丹市の精苗園久保武久氏に多大なる御協力をいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。また、久保氏の曾祖父武兵衛氏は現在米国ワシントンのポトマック河畔の桜並木で有名なその桜の台木苗15000本を1910年に精魂込めて作られた方であることを申し添えておきます。
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北村氏は鳥飼高校へと転任されたが、その後も茨木高校の園芸部に寄稿されたりしている。私信によれば移植された笹部桜は理科の先生方や技能員、園芸部員のケアによって、すでに本年4月に少数ながら佳い花をつけたという。