荘川桜その後(新たな桜守の誕生)
在りし日の佐藤良二さん |
最初冷ややかな目で見ていた同僚や家族も数年後に小さな花をつけ始めた桜をみると段々と協力的になってきた。新聞が彼のことを取り上げると方々から協力の申し出があったが、それは返って彼を忙しくしてしまった。休養を取るひまがなくなり、約束を果たすため嵐の夜中に軽トラックで遠方まで往復するといったことも度々であった。
昭和45年には神戸岡本に神様と仰いでいた笹部新太郎(当時83歳)を訪ね感激の握手を果たした。小説「桜守」の主人公弥吉が大好きで自分も弥吉の様に生きたいといっていた。体調が思わしくなく名古屋の病院へ検査に行ったときには既にガンに蝕まれていた。(昭和51年没。享年47歳。それまでの12年間に2000本の苗を植える)佐藤さんが亡くなられた後も意志は受け継がれ、国道沿いに桜は植えつづけられた。何時しか国道156号線は「さくら道」と呼ばれるようになり、佐藤さんを顕彰する碑も建てられた。
満開の荘川桜の下に 集う村民たち |
志半ばで倒れた佐藤良二さんではあったが、彼の始めた桜運動は官主体ではあるが今も続き、荘川桜の苗木も各地に広く伝えられているし、地元では「さくら道マラソン」「さくら道ツーリング」などのイベントがすっかり定着している。