中井正明
(64期・なにわことばのつどい代表世話人)
船場の中心高麗橋通と今橋通の間に一間半程の小路、
市内地図にも名前の載らぬ通路がある。
昭和も35年頃の家並は本(ほん)にしっとりした景色で、
静かなF喫茶店などポツポツとお店がおました。
今日日(きょうび)エライ、様変りしてしもて。
文献によると
「船場に小路四所(ところ)有りて云々。
淀屋小路・衣張小路・御前小路と此所(ここ)、
他に狐小路も…」ゴザッタとか。
17世紀後半の寛文・享保の頃は、小路両側に
質屋・売卜・寺子屋・米屋・風呂屋・油屋・色宿まで
軒をあらそひ、家建ち集ひ、
実に浮世のありさまを眼のあたりに見わたす
の故をもって浮世小路と唱へたるよし…とかや。
他に「ここを手代の隠し宿又は問屋蓮葉の身ままになりて…云々」
の記述がおまス。これなど直訳?すると
「高級料亭を使わず、別宅を利用して尻軽に接待等させる」
即ち…その分、交際費の節約に通じるという事、
一口に言うと、船場の商人達は始末人倹約家が多かったんやてぇ。
筆者が月給取りの頃、別家(べっけ)番頭に承った事
この話「イカイ」昔話になってもたねぇ。