松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
そして大正14年にこの辺りが大阪市に編入されましたので市営(ただし個人の請負制)となり、この時から無料になりました。公営の渡しは道路法によって認定道路として位置付けられているものが多いのですが、平田渡しも「東淀川区第386号線」という道路の一環としての役割を果たしていました。
戦後になって職業安定法が施行されたのを機に、昭和23年には市の直営になりました。淀川右岸地域の都市化が進み、利用者が急増しましたが、手漕ぎの船では片道20分もかかりましたので、ラッシュ時には積み残しが出る状態になりました。それに少し風雨が強いとすぐに欠航となり、利用者には随分不便なものでした。そこで昭和35年には21人乗りの発動機船に変えられ、さらに昭和38年からは36人乗りの新造船が就航しました。こうして最盛期には1日3000人の乗客と670台の自転車を運んでいました。
平太の渡し跡の碑(左岸堤防上) |