平田渡のサヨナラ航行(昭和45年3月) |
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
この斜張橋は日本国内ではごく初期のもので、大阪では初めてのものでした。斜張橋は桁橋形式では架設が難しい200mを越える距離を一跨ぎしなければならないような場所に有効な形式であるとされています。その後の技術発展の進行は目覚ましく、本州四国連絡橋の尾道〜今治ルートの多々羅大橋では中央スパンは800mに達しています。
高い塔から非常に強いロープで桁を吊っているので、桁への負担を少なくし、桁高を低くすることができ、その結果、取付道路を短くできるという利点ももっています。しかし非常に繊細な構造ですので、設計と施工にあたってはケーブルを利用した力のバランスをいかにうまくとるかがポイントになり、綿密な構造計算と微妙な現場作業が要求されます。
豊里大橋の建設にあたっては、いろいろな技術的検討がなされました。斜張橋の補剛桁は、剛性が低いため風に対して揺れやすい性質をもっています。このため任意の強さの風を起こすことができせる風洞という実験装置を使って、桁の断面を工夫し、通常の風では橋桁が振動しないことが確かめられました。補剛桁は強力なケーブルで吊り上げられていますが、その定着部分には大きな力が集中します。この部分が十分な耐力を持ち、なおかつ力がスムースに桁に伝わるような構造にするために、詳細な構造解析や模型実験が行われました。
桁を吊っているケーブルには非常に強度の高いピアノ線が使われます。それまでの斜張橋では撚り線が使われていましたが、その材料の強度を有効に生かすために平行線のケーブルが使われました。
現在の豊里大橋 |