逆巻橋寺『淀川両岸一覧』 |
平田渡しは平太渡しとも書かれ、この名前が、延宝4年(1676)から淀川の下流域での渡船の営業権を得ていた大道村(東淀川区大桐)の土豪沢田佐平太【さへいた】の名前に由来するという説もありますが、確かなことは分かりません。
江戸時代末期の安政3年(1856)に発刊された『淀川両岸一覧』には「平太渡口【へいだのわたし】」として「西成郡平太村より、東生【ひがしなり】郡今市村へ淀川を渡る舟渡しである。今市の渡しともいう」と記述されています。このことから江戸時代前期の渡しの位置よりはかなり下流に移動していたことになります。