行基の像(近鉄奈良駅前) |
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
『行基年譜』などの資料によりますと、山城国乙訓郡に山崎橋を、相楽郡に泉大橋を架けました。そして摂津では、高瀬大橋の他、長柄、中河、堀江の3橋を架けたとされています。橋を架けることは寺院の建設や布施屋の開設などと密接な関連をもつ宗教活動の一環でした。山崎橋と泉大橋の位置はほぼ特定されていますが、摂津の4つの橋がどこに架けられていたのかよく分かりません。この内、高瀬大橋は現在の豊里大橋の近くに架けられていたと推定されています。行基が宗教活動として建設したいろいろな施設を地図上で検討してみますと、生駒山から伊丹の昆陽【こや】に至る道が開かれていたことが想定できます。その重要なポイントが淀川を渡るところに架けられた高瀬大橋だったというのです。
高瀬大橋架橋想定地点 |
守口市に式内社の高瀬神社が残り、現在では淀川敷になってしまっていますが、それ以前にあった橋寺村という地名は行基が建てたとされる高瀬橋院と同尼院の位置を想定させます。これらの寺院が橋を管理する役割を担っていた可能性も考えられます。しかし今となってはその証拠を見いだすことは大変難しいことです。