現在の淀川大橋 |
松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター理事長)
この事業によって西成大橋の架け換えが行われました。事業が進められる途中で、 路面電車が設置されることになったり、関東大震災の経験から耐震設計の見直しが行 われるなどの変更を加えながら、橋は大正15年8月に完成しました。
淀川を渡る部分の長さは約731m、幅員は20mと一気に広くなりました。中央に幅5.5mの電車軌道をもち、両側に1.8mづつの歩道がとられました。河川中央部の6径間は32.9m、両側の12径間は21.9mのスパン長になっています。橋脚と橋台は鉄筋コンクリート製ですが、基礎として中央部の4基には1橋脚につき4本の鉄筋コンクリート製の井筒基礎(外径3.6m、深さ21m)が沈められ、他の橋脚の基礎には合計約8000本の落葉松及び米松の杭(末口25cm、長さ9.1m)が打ち込まれています。
上部工の中央部は上路式の単純ワーレントラス4列で構成され、他には鋼単純桁が 用いられています。工事報告書によりますと、総鋼重は約4500トンで、鋼板は主として国産(八幡製鉄所製)でしたが、型鋼は国産のものが少なく、主に輸入材が用いられたとされています。そして橋の工事費は中津運河の小橋の分を含めて約246万円でした。
架橋地周辺は、橋の工事中に大阪市へ編入となり、西成郡という地名がなくなりま したので、西成大橋という名前の根拠がなくなってしまいました。新しい橋は淀川筋 では破格の規模をもつものになったことから、淀川大橋と名付けられました。
淀川大橋は、現在は国道2号の一環として建設省近畿地方建設局の管理になってお り、阪神間の重交通を支え続けていますが、戦前から続いた地盤沈下の影響によっ て、橋面が堤防より相当低くなってしまいました。このため橋の両端部には高潮や洪 水の時に水が入ってこないように、閉鎖用の鉄扉が設けられています。