松村 博
(74期・大阪市都市工学情報センター常務理事)
新淀川の開削に並行して、利水を目的にした中津運河が掘られました。ここにも橋が架けられましたが、淀川の大橋と区別するために十三小橋と呼ばれるようになりました。
現在の十三大橋の南西詰の堤防の上に高さ4mほどの石柱が建てられていますが、これは大正9年3月に地元の有志によって建てられた道標です。東面には「池田四里、伊丹二里半」などと彫られています。
また北面には新しい淀川が作られた経緯が刻まれており、多くの家屋の立退きののち、十三の堤ができたのは明治35年のこととされています。