1888年に「修学旅行」という言葉が使われるのは、全国の中学校の中でも早い例の一つであったと言われる(『北野百年史』)。しかもそれが、鉄砲を担いでの武装行軍旅行として始まったのは注目に値する。
現在のような普通の見学旅行に切りかえられる1913年は、元号が明治から大正に改まった翌年で、いわゆる第1次護憲運動が行われ、軍部の横暴への批判が高まっていたころである。
旅行の形態や目的地だけでなく、泊数・時期・実施する学年等の変化にも社会情勢の微妙な影がー覧表の中から浮かんで来そうである。
1904年から1914年にかけての時期は、2泊からさらに1泊の旅行へと簡素化されているが、日露戦争、そして戦後の不況との関連を考えさせられる。
1930年の大恐慌の時期に文部省の指導があり、宿泊旅行を自粛するが、そのまま第二次世界大戦に突入、1950年まで復活しなかった。
戦後の修学旅行は、男女共学の時代でありながら1967年まで女子のみで行われた。これは本校独特の形態であった。
また、希望者を募る形で「満韓修学旅行」なるものが、日露戦争後の1906年に実施されている。宿泊を伴う行事としては他に登山やスキー、水泳訓練などがあった。さらに1936年までの野外軍事教練は、福知山や信太山で連泊して行われ、当時の生徒たちには忘れられない思い出となっている。