2001年11月13日放送 NHK名古屋『おしゃべりらんち』より |
第5簡
学士院賞
- 昭和38年、石浜純太郎先生を代表者にして関大で科研費を取ったんです。テーマは「江戸時代京阪における漢学の研究」。阪大には懐徳堂があり、天理には古 義堂があるように、関大には泊園書院という藤澤南岳の塾の本がある。この本を整理するために金がいるというので申請したんです、総合研究をね。その時、ど れにも属さない研究テーマはないか考えた。そこで、吉田松陰が出てくるの。松陰を勉強するには孟子を読まないかん。そうしたら、どういう中国の本が、いつ どれだけ日本に入ったか、種類と量をはっきりさせんかぎり江戸時代の思想史はわからん。それじゃ、それを調べようかいうことになった。それでね、やってみ たらだれもやってない。そこで、やらないかんということで材料を集め出したんです。それらの資料はまず長崎図書館と内閣文庫にあることがわかって、その他のところにも点在することがだんだんわかってきたけど、蒐集するのはむずかしかっ た。また、江戸時代の各藩の蔵書の現状を調べたけど、期待はずれで残ってるものが少ない。結局、輸入された書物の最も重要な購入者である将軍家の紅葉山文 庫と幕府昌平坂学問所の購入品を保存している内閣文庫を調査するのが一番であるとなったわけです。
そんなことで八代将軍吉宗に親しくなって、吉宗が買い寄せた象のことに関心が出て、いろいろ調べたり、象の小物を集めたりね。これは趣味ですね。
この、中国からの輸入書籍を中心とした研究が日本学士院賞をもらうことになるんです。『江戸時代における中国文化受容の研究』で昭和61年にもらいまし た。あれが昭和天皇が学士院に来られた最後で、しかも学士院にビデオが入った最初なんです。総会で、陛下が真ん中に座っておられ、こっちで賞状を学士院長 にもらうんですが、前の日にリハーサルやって、しつこく注意されたのが「落としても拾わないように」。というのはね、賞状といっしょに、これぐらいの杯が あって、それをこう包んでもらうとすっと抜けるのや。それで、「落としても拾わんように」とこんこんとね。「こっちで拾いますから」と。
その総会の前に、机を一人ずつ貸してもらって、自分の研究の資料やパネルをならべる。それで「ご説明」するんです。ご説明3分、ご質問2分です。3分で説 明いうのはむづかしいでっせ。やってみたらわかる(笑)。天皇は9人の受賞者と4人の新会員の全く違う分野の説明を次々に聞いて質問しはる。だんだん時間 がずれてくる。あういうときの学問分野の順序ってあるでしょ、人文学の哲学が最初で理科系が後の方ってなってる。だから、僕は最初の方やから時間通りだっ たけど、最後の生物学の人は説明を半分に削られた。ところが、削ったほうのことをちゃんと質問しはったらしい。さすが天皇は生物学のプロやと感心しました ね。
僕らの世代の人間は天皇に対して複雑な思いを持っている。だから、この日がくるまでは相当考え込むことがありましたが、まあ、珍しい経験をさせてもらいま した。
Update : Nov.23,2001