タイでは象に乗って首長族の村を訪れた |
第5フライト
案ずるよりも…
- 成田から、まずタイに飛んだんです。とりあえず出国したんです(笑)。無鉄砲といわれるかも知れませんが、予算なんか立てられませんからね。いったい幾ら 要るのか分からない。軍資金はとりあえず何百万か溜めましたから、手持ちのお金が無くなったら帰ってくればいーや、って。そんな、お気軽な感じでした。
予定にしても…タイの後は、アジアをぐるっと回って、友達のいるオーストラリアへ(夫もオーストラリアをバイクで一周したいって言っていたので!)たどり 着いたらいーや、というくらい非常に大雑把でした。「出たとこ勝負」というか「場当たり」というか…。行って気に入ったところがあれば長く居たらいい、そ んな感じ。すべて「その日気分」。本当に計画なんて無かったんです(笑)。とりあえず80万円をトラベラーズチェックと現金に分けて携帯しました。あとは91年のお正月に夫の両親と弟がオーストラリアに遊びに来るって言うので、 その時に持って来てもらえばいいか…とか、急に足りなくなれば母に頼んで、どこかの銀行に送金して貰えばいいとか、結構イージーな考え方で出発しました。 あまり大金を持ち歩くのだけは嫌だったので。
でも、いざ国の中に溶け込んで暮らしていると、あまり思う程はお金を使わないんですね。1泊200~300円で泊まれたりとか。現地の人々に混じって屋台で食事していたら、本当に安くて。「これだったら…結構、行けるかも」そんな感じでした。
タイからマレーシアに行って、また一度タイに戻ってからオーストラリアへ向かいました。そこで中古バイクを購入して…結局、全部で6か月滞在したんですけど、そのうち4か月位かけてバイクで大陸を一周したんです。
最初わたしは、学生時代にも一通り回っているし、暑い中をバイクに2人乗りで回るのは大変なので、夫に独りで回ってもらって、その間どこかでアルバイトで もしようと思っていました。ただ、いいアルバイトも見つからないし、折角2人で来たんだから一緒に回ろうよ、と。それで考えを改めて、結局2人乗りで一周 しました(笑)。
最後にオーストラリアを出る時にバイクを売ってしまって、ニュージーランドはヒッチハイクで回りました。冬のヒッチハイクで、みんなに「バカだ。バカ だ」って言われながら(笑)。その後、またアジアへ戻ったんです。着ていたセーターとか古着とかは、誰かにあげたり、リサイクルショップで売ったりして… その都度、必要な衣類は現地で調達するようにしていました。そうすると、割と荷物も少なくて済みますしね。
最初、タイへは大きな鞄を持って、心配なので全部入れて来たんですけど…アジアで出会った「旅の達人」みたいな人に(日本人でしたが)「とにかく毎日持ち 歩くデイパック一個を決めて、その中に入る物だけを持って行け」と指南されて、それ以後は本当にわたしたちもデイパック1個だけで旅をしていたんです。
フットワークが身軽になった分いろんな所を回れるし、強盗にも狙われにくい。やっぱり現地の人みたいに思われますからね。そうやって段々、旅にも慣れてき て、必要な物は現地調達で物々交換をしたり…例えば、電卓1個で「一泊、泊めてよ」とか。「このGパンで泊めて」って言ったら「こんな汚いGパンじゃダメ だ。パパイアとなら交換してやる」とかね(笑)。
そういう交渉も面白いですからね。なるべく現地の言葉を覚えるようにしましたよ。まぁハッキリ言って暇ですからね、旅をしている間は。朝から晩まで人と喋って教えて貰ったり。とにかく数字は覚えるようにしました(もう今ではスッカリ忘れちゃってますけど)。
現地の物を食べて1日位お腹をこわしてもいい。現地の人が飲んでいる水はわたしたちも極力飲むようにしていました。いつもミネラルウォーターを持ち歩く訳じゃなくてね。そうしているうちに胃腸も強くなってくるんです。
あとは「惜しまず歩く」というか、宿にしても色々な所を訪ねて自分が納得いくまで聞いたり、時間を掛けて探したりする。それから、現地の人に「とにかく危 ない」と言われた所は確認して、一切、寄り付かないようにしました。もともと、それほどお酒を飲むほうではないので、夜はあまり出歩きませんでしたが。
現地の人と親しくなるのは得意でした。ニュージーランドでは、1か月半のヒッチハイクの間に6軒くらい…泊めて貰いましたよ。車の中で2~3時間だけでも喋っていたら、大体わたしたちがどんな人間か分かるみたいで、「今晩、うちに泊まれば?」と言ってくれたり…。
もちろん、わたしたちも「怪しい者ではありません」というのを強調しましたしね(笑)。すごくいい思い出ができました。
Update : Jul.23,2000