第9楽章
あっけない終戦
- ボクはちょうど風邪引きで病室に入ってましたから…例の「玉音放送」という奴は聞いてないんです。それでも「これは大事な放送だ」というので病室から起き出して兵舎に帰ってきたら「いま放送が終わったところや」と。
「何や、よう分からんけど…とにかく『戦局は不利だけど最後まで頑張れ』ということや」とか「そんなことはない。あれは『戦いはやめろ』ということやで」とか…みんな喧々囂々で、好きなことを言ってましたね(笑)。
だから、それからもなお血気盛んで出撃した輩もいましたよ。「負けてたまるか」ってね。それを「頑張って来いよ」って送り出したり…(笑)。間もなく海軍省から少将が1人と参謀が3人ほどやって来て「もう戦争は終わったから、大人しく帰りなさい」と説明に来てね。
第一、それまでは灯火管制で夜は真っ暗だったわけです。それが8月16日から島の民家に灯が着きだした。沖合いにはわれわれが訓練の標的にしていた秋津丸 という800トンくらいの船が停泊していたのだけど、それも明々と電気を点けて浮かんでた。「海の景色って、こんなに奇麗もんかな」と思ったよ。
灯火管制の必要がないということは、もう敵は爆撃には来ないということか…それで、ようやく「終わったんやな」という実感を得ましたね。
「大学出身の予備士官、予科練出身の下士官…いわゆる特攻隊の連中は、できるだけ早く帰れ」ということで8月24日、一番先に秋津丸で基地を離れたわけで す。ところがこの船…神戸港の沖で機雷に触れてしまってね、爆沈するんですよ。まだ直撃でなくて良かったけれどね。磁気機雷というのは感度調停装置とか回 数起爆装置とかいうのが付いていて…どうも運悪く、ボクらの乗った秋津丸がこれを作動させてしまったらしい(笑)。船底をやられてスクリューも止まる、船長は大怪我をして重傷。しようがないので船長室に運び込んだら…あとは艦橋で指揮をする人がいないわけです。たまた まボクは航海士の心得として、乗船時にこの船がどういう船であるか…ということを調べてたんです。総トン数とか、竣工年月日とか、幅がナンボで、エンジン の出力が幾らで、最高速度が幾らであるとか…。艦橋へ行けば、そういうことが書いて貼ってあったからね。それで艦底からトップまでの高さが10.6m、艦 橋までの高さが6mであることを覚えてたんです。
誰が呼んだか知らないけれど、救援のタグボートが2隻やってきて「どこへ着けますかーっ!?」と叫ぶので、慌ててボクは海図を開いて見たんです。そしたら、神戸港というのはいい港でね(笑)。深いんですよ。一番浅いところで9m、ほかはどこも13m以上でね。
血眼になって探したら、たった一箇所だけ…中央市場の岸に水深4.6mの地点があった。それで「中央市場の岸壁に着けろ~!」「了解ぃ!!」それでみんな助かったんですよ。あのまま沈んでいたら今ごろみんな海の底で…。