われら六稜人【第19回】機長が指示を待っている

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管制官への憧れと受験

    管制官を最初に実感したのは高校2年の時、たまたまテレビでやっていた『大空港』という古い映画のなかでです。映画では管制官は目立たないながらも大変重要な役を演じていました。大 雪で視界がほとんど無しの状態で旅客機が緊急着陸するのですが、管制官は適正な着陸コースに乗せようと、パイロットに無線で指示を出すんです。PARとい う、今ではほとんど使われていないレーダーを使っていました。高度が1000フィート(約300メートル)を切っているのにコクピットの外は闇。その中を パイロットは、管制官の言う事を信じてそれだけを頼りに降りてくるんです。
    で、接地寸前にパッと滑走路が目の前に現れて、パイロットが「見えた、見えたぞ!」って叫ぶんです。この時、管制官ってすごいなぁと思ったんです。普通、パイロットの方がかっこ良く映るんでしょうけど。

    そ れで管制官になれるもんなら僕もなりたいなあと思って、調べてたんです。紀伊国屋書店とか行くんですけど、パイロットやスチュワーデスになる本はあるんで すけど、管制官というのは無いんですよ、資料が。それに身近に管制官の人はいないし、知り合いに持ってる人だっていない。

    それと当時の北野は将来何になるかよりも、一流大学に行かないといけないんだという雰囲気があったし、ほったらかしになってたんです。そこで諦めじゃないんですけど、管制官を忘れかけてたんです。
    でも機体設計とかパイロットとかの道も考えていましたから、受けた大学は結局航空と名がつく所ばかりでした。東北大工学部とか東海大とか大阪府立大にもあ るんです。航空熱は冷めてはいなかったんです。でも全然駄目でした。いつも赤点に瀕してるようでは、所詮かなわぬ夢だったんですね。
    結局一年浪人しちゃって。でもこの一年は将来何になるか、そのためにはどうしたら良いか考える余裕がありました。江坂の代々木ゼミナールって予備校に行っ て、そこの進路指導室に何度も通いました。そこで航空管制官を養成する航空保安大学校の存在を知った訳です。

    あっ!これや、受けようと思いました。
    でも就職もからんできますから倍率がすごくて、30倍とかなんです。「タカラヅカかここは?」とか思いました。 でもせっかくだから、受けてみるだけでも受けてみようや、という気になりました。

    倍率は高いとはいえ東大や京大、阪大みたいに本当の精鋭がそろうんじゃなくて、いろんな方面から受けてきはるから、実際に競うのは限られてるとは思います。
    一次試験は10月だったんですけど、二次試験が遅かったので普通の四年制大学も受けました。前期にまた東北大学受けたんです。また落ちて。これで3回も落 ちて、もうこらいかんと後期日程で岡山大学を受けて、これは航空に関する学部はなかったんですが、もうとりあえず国立大学を押さえとこうという事になっ て。とはいうもののクラブに航空部があったから受けたんですけどね。
    それで岡山大学に受かったんです。ああやれやれ、これで安心やと思ってた所に航空保安大学校の合格通知がありまして、それでどうしようと悩む訳なんですよ。

    うちの母親と父親で二つに割れちゃいしまた。母親は「航空保安大学校に行きなさい。給料も貰えるんでしょ」というし、父親は「やっぱり普通の大学に行った方がいいんとちゃうか」と言う訳です。
    大学に行っても、将来職場で大学で学んだことを生かせるかどうか解らないですから、だったらもう航空大学校のような専門的なところへ行って、確実にそこで習ったことは職場で生かせる道の方がいいなぁと、無駄な時間も少なくなるだろうし、最後は自分の判断で決めました。

    やっ ぱり理系だと大学院に行くコースだと思うんですけど。そうすると、働き出すのはすごい遅れるでしょ。一浪していた気負いもあったしで。現役で四年制大学に 受かった同級生と逆転してやろうという気もあったし「なんやまだ大学に行ってるのか。俺はもう働いているぞ。ボーナスもあるぞ。自分の車も持ってるぞー」 とそういう風になりたかったんですね。反骨精神というか。

    中央 成人式の帰り(中央)

Update :Apr.23,1999

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