第3樽
社長業を継ぐということ
- 父の意向で、大学を卒業してから3年間…丁稚奉公に出ることになりました。難波にある古い大手の酒問屋です。ここは歴史のある会社で、挨拶の仕方から約束を守ること、言葉遣いに至るまで…大変厳しく教えて貰いました。
ところが(その頃には仁川に越していたのですが)難波からの帰宅途上で、毎日のように寄り道をする癖がついてしまったのです。給料の半分はその寄り道で使ってしまう生活でした。お陰でこれまでほとんど知らなかった「大人の遊び」をみっちり会得しましたけれど(笑)。
「こんな生活をさせておいたらアカンようになるで」と見るに見かねて父の耳に入れる人がいて、結局3年の年季を待たずに2年で連れ戻されてしまいました。「灘酒造」に入社して…当然、平社員からのスタートです。課長を少しはやりましたが45、6歳まで平社員時代で、その後いきなり専務になり、48歳で社長になりました。
父は業界団体の役員や西宮市の監査委員を16年も務めるなど、会社の中よりもむしろ外で忙しい人でしたから、実務的なことはほとんど番頭さんやわれわれ息 子たちに任せっきり…の状態でした。ですからボクは平社員の頃から「社長」の仕事をやらされてはいたのです。実際、怒るということのない人で、好きなよう にやらせてくれました。実に立派な人だと思います。いずれは会社のどこかに父の銅像を建てようと思っています(笑)。
当社は父が会長、長男のボクが社長、次男が専務で三男が常務…完全に家族経営の会社です。勿論やりにくいこともあります。特に他の社員たちにとっては、や りにくいかも知れません。ただ…家族ぐるみというのは、やりやすい面も多いです。弟たちに対しては甘くなる時もありますが、出来るだけ厳しくしようと思っ ています。厳しくすればするほど会社にとってはプラスになるんです。
業界の中で当社は「兄弟でうまくやっている」会社という評価を貰っています。酒造業界でこのように兄弟経営している例は極めて稀なんです。「長子相続」 「一子相伝」というのが酒屋の家訓みたいなものですから…兄弟で一緒にやるというケースはほとんどありません。業界300年の歴史の中では、結局いざこざ で揉めてガタガタになったという実例がたくさんあるんです。
しかしボクは仲良くうまくやっていけるのであれば、父子4人でやっていくことはいいことだと思っています。それは武器にもなります。難しいですけどね。
ようやく最近になって、やっと社長業が身についてきた…というか、経営のコツみたいなものを掴みかけてきたような気がしています。これまでさんざん重ねてた失敗が、やっと武器になったかな…と思う今日この頃です。
Update : Feb.23,1999