第7幕
学校公演の是非
- いくつか問題があるんです。たとえば学校公演をやってそれで劇団が成り立ってる例を挙げますとね…芝居も当然、興業ですから、ほかの物販と一緒で価格競争 になりますよね。今あちこちの先生方に売り込むのにものすごい熾烈な競争でね。ワンステージ50万だったのが40万…次は30万ってね。そうなった時に… ボクに言わせれば質の低下につながりはしないか、と。劇団名を挙げると支障があるんでドコとは言いませんけども、東京では一軍のキャスティング、地方へ 行ったら若手公演になってる…というふうなことになっちゃうわけです。じゃあ一軍は何してるかっていうと、その時東京でテレビに出てるわけですからね…そ れはどういうことなんだ、とボクは思うわけです。
それに地方巡業でワンステージいくらで売れたものが、東京に送金されて劇団が成り立つ…という循環が一度始まってしまいますとね、どっかでそれが止まるともう劇団がつぶれてしまうんですよ。そこに基盤を置いていたらね。そもそも学校公演がスタートした時の単純明解な旗印は2つあったんです。1つはマスコミ(テレビ)が出現するまで、劇団経営の財源というものが特にありま せんでしたから、地方を回って出稼ぎ…というものですね。で、もう1つはですね、新劇の…今「新劇」ってのもほとんど死語ですけど…演劇の観客人口を将来 的に増やすんだっていう非常に大きな旗印があったんですよ。学校で感動的な舞台を観た人が、大きくなって観客になってくれるという…それは一見、正論みた いなんですが、ボクは正直「そうかなぁ」って疑問に思うところがありましてね。
ボク自身…かつていた劇団でドサ回りをやったことあるんですよ。でもね、これは申し訳ないけれども、体育館に幕はって、急拵えのステージでやっても…子供 たちがね、そんな芝居なんか観てないですよ。走り回って(笑)。「こんなことやるためにボクは俳優になったんじゃない」って…その時ボクは非常に率直に ね…あ~これマズいなインターネットだと(笑)。編集してくださいね。
そんな時にボクが師匠と仰ぐ山岡久乃さんって言う女優さんが「私はそんなことのために女優になったんじゃない。真っ暗な舞台に立って、サスが当たった時 の、一条の…射るような光線の中に決然と立った時の、あの鳥肌が立つような思いがしたくて役者やってんだ」って言ったのが、ボクは名言だと思うんです。こ の人は非常に信ずるに足る俳優だと思いましたね。だから、そういう大義名分は…それはそれで美しいかもしれないし、また実際にそういうふうに信じてやって らっしゃる方はたくさんいると思うんです。だけど、ボクは…できないなぁ、と。
3つめに今の状況で言いますとね。地方公演やりますと言って帰ってきても、もう東京で仕事ないですよ。スターでもない限り、待っててくれませんからね。つ まりどういう状況かっていうと、東京に構えていて「お呼びがあれば、24時間いつでも行けます」っていう“商品”を並べておかないと…できないわけです。 だから、どっちかになっちゃう。
「ちょっと今、九州へ行ってます。再来月には帰ってきますんで、また…」なんて調子のいいこと言ってますとね…そら、掃いて捨てるほどいるわけですから…役者は。発注する側の人間にしてみれば「だったら、もういいや」ってコトになっちゃう(笑)。方法論の問題ですね。
それと一つは考え方の問題。演劇の人口を増やすっていう社会的な意味をそこに求めることはボクにはちょっと無理だったし、劇団経営の方法論としてもそれに 依存するっていうのは果たしていかがなものか…っていう疑問はありましたね。構成メンバについてもですね。これは『新劇残酷物語』みたいなことになっちゃ いますけど…地方公演をやりますでしょ、やってる間は食えるわけですよ。食事出ますから。ところが地方公演3ヶ月を終えて帰ってきたら、その日から食えな いですよ。アルバイトだって3ヶ月も留守にしてりゃ、みんなクビになってるでしょ。
これはウチの話じゃないですよ(笑)、その地方公演で回ってる劇団の話。ウチは、そういう力が…両方一遍にはやれないンで…やってませんけれども。つま り、中央を捨てなければ地方公演を打てませんからね。ただ、日本のベスト3に入る大劇団でもね、年間250日は地方を回ってるって方がいるんです。「この 10年間、クリスマスを東京で過ごしたことがない」っていう先輩の俳優もいます。某高名な俳優ですよ。でもね、それくらいでないと維持できないンです。
ボクらは自力で細々と打ってるから短い公演しか打てないんですが、そんなたった10回の公演でもですね…来るお客さんにしてみれば今日が初日ですからね。 だから10回を10回とも本当に新鮮に演らなきゃ具合悪いわけです。こっちは10回目でも10日目に来たお客さんは初日なんですから。
結局、その某高名な俳優は「中田くん、250回新鮮にはやれないよ。」そう言って遂に辞められましたがね。ボクはホントにそうだと思います。250回というのは「惰性になるな」というほうが無理じゃないですか。
確かに教育的に言えばですね、一回も舞台というものを観ないで卒業されるよりは「観て欲しいなぁ」とは思いますよ。個人的にもね。ボクは地方公演はやりま せんけど、以前…ボランティアをしていた友人の依頼で、30人ぐらいの障害児を指導している保育園ですね。知的障害も含めてですが、進行性の筋ジストロ フィーの子供もいましたし…そこに何回か行きました。
その時に保育園の先生方もびっくりされてたんですけども、本音のこと言うと「10分もたないだろう」と思ってたらしいんですよね。それほどジッと集中する のが困難な子供たちだったんでしょう。今ここで歩いてる子が2年後には死ぬんだっていう子とかね…ボクもその時初めて知ったんですが…流しに栓をして水を 入れて、栓を抜くとゴボゴボっと音がしますよね。その音を聞いてないと安心できない…なんていう子がいるんですよ。だからその子の家の水道代、毎月ものす ごいですよね。一日中やってるわけです、ゴボゴボって。そういう子供さんとかね…約30名、いろんな子供がいましたけれど。それが全員30分もったんです からね。全然騒がずに観てくれました。この時ばかりはボクも来てよかったなぁって思いましたよ。芝居やっててよかったな、って。
今でこそ当たり前になってますが…教育に演劇を使うことの効果はその時、実感しましたよ。演劇という表現方法が、人間の感性とか情緒とかいろんなことに持 つ効果…みたいなものをね。だからそういう意味では、高校生なんかでもね…一年に何回か、ちゃんとしたものを観て欲しいなぁと思います。
それは別に学校でお膳立てしてもらうことでもないと思うンですよね。たとえば全国展開がうまく行っている例として…劇団四季なんていう団体は、今ボクが話 したいわゆる地方公演をやっている範疇には全然入らない劇団ですよ。昔、そういうふうな努力をされてた時期もボクは知っていますけどね。いまは全然違うん じゃないでしょうかね。四季の芝居というと、やっぱりそれだけの対価を払って観るに値するっていう評価も得てますしね。
ボクもやるんだったら一度、大阪で…とは考えてるんですがね。劇団とか演劇界と学校の問題っていうのは、行政も関係あると思いますし、風土の問題もあると 思います。日程、カリキュラムの問題となると文部省の管轄かも知れないけど、そんなものは他の授業やるよりは絶対見せた方がいいですよ。教育的に言えば ね。
Update : Dec.23,1998