【264回】12月『北海道分水嶺縦断とヒマラヤ登山』

 

Ⅰ.日時 2024年12月18日(水)11時30分~13時00分
Ⅱ.場所 バグースプレイス パーティルーム
Ⅲ.出席者数 43名
Ⅳ.講師

野村 良太さん@125期

(山岳ガイド、登山家)

・1994年生まれの30歳。大阪府豊中市出身。府立北野高校125期。北海道大学水産学部卒業。同大ワンダーフォーゲル部62代主将。

・2022年2~4月に宗谷岬から襟裳岬までの670km「北海道分水嶺縦断」を63日間で単独踏破。NHK総合にて挑戦を追ったドキュメンタリー番組「白銀の大縦走〜北海道分水嶺ルート670キロ」地上波全国放送。

・史上初の功績が評価され「第27回植村直己冒険賞」「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」受賞。

・2023年春、ヒマラヤ未踏峰遠征。

・2024年秋、マナスル(8163m)遠征。

・2024年10月には自身初の著書『「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記』 (山と渓谷社)を上梓。

 

・2024年4月6日六稜トークリレーに登壇

「北海道分水嶺縦断・積雪期単独縦断―宗谷岬→襟裳岬670km 63日間の挑戦」

アーカイブ:TR220Live – YouTube

Ⅴ.演題 『北海道分水嶺縦断とヒマラヤ登山』
Ⅵ.事前宣伝 アウトドアとは無縁だった北野高校野球部時代の思い出から、北海道大学ワンダーフォーゲル部に入って登山にのめりこむまで、そして卒業後に挑戦した冒険の全容をお話させていただきます。
いまの僕は、18歳のあの日の僕には想像もつかない活動をしています。その原点は何だったのか、なぜいまも過酷な登山に挑み続けているのか。登山とは、必ずしも楽しい瞬間ばかりではありません。むしろ苦しい時間ばかりです。それでも僕はこれからも登山を続けることでしょう。やりたいことをやりたいように続けたい。不器用な僕の生き様の、その一端を感じていただければ幸いです。
Ⅶ.講演概要 1.北海道大学の水産学部に入学、そして北海道の大自然に憧れワンダーフォーゲル部(以下ワンゲル部という)に入部した。そこで登山にのめりこんでいった。北大水産学部の3年からの専門学科は、函館で授業を行う。ワンゲル部がある札幌との行き来は無理なので、活動に打ち込むため2年間休部。62代ワンゲル部主将を全うしてから、復学。結局6年間で学部を卒業した。2.卒業の年は就職活動も行わず、山を生涯の趣味と仕事にしたいと思い、山岳ガイドの道に進んだ。しかし、コロナ禍で仕事がなかったこともあり、北は宗谷岬、南は襟裳岬間670㎞の単独北海道分水嶺縦断を計画した。この計画のモチベーションとなったのは、志水哲也さん、工藤英一さんのお二人の言葉があったからだ。それは、「比類のない美しいルートだ」と「完全単独ワンシーズンであれば、極地に匹敵する記録になる。(中略)これからの若き岳人に期待する」というものであった。3.こういった縦断を夏に行うと、気候的には良いが、森林や藪で覆われ歩くこと自体が困難。むしろ、雪で覆われた冬の方が歩きやすく、スキーも活用できるので冬季に実行することとした。4.2021年の縦断は南からスタートしたが、これは失敗した。失敗の理由は、南からだと午前は南斜面が日当たりで雪が解けて緩くなり歩きにくい。午後は北斜面が凍って固くなり非常に危険という理由による。この第1回縦断の時、NHKのデレクターから声を掛けられ、取材を受けた。翌年第2回を実施する前に再びNHKから声を掛けられ、今度はカメラの映し方やアングルなど手ほどきを受けた。もっとも、密着取材すると言いながらカメラマンが来るわけではなく、自作自演の記録となった。 

5.第2回は、第1回の失敗を反省して、北から南に縦断することとした。また、第1回の50日という期間も、背負える荷物の量を考えると無理があり、これを64日、つまり1日平均10㎞歩く計画とした。これから途中4か所のデポに食料、備品を置いた。

 

6.2022年2月26日、宗谷岬を出発した。ここから、縦断中に撮影したビデオによって踏破の様子を解説し、いろいろなエピソード、行動の説明があった。そのいくつかを列挙する。

・2か月間も一人でいると、気持ちの浮き沈みが顕著になり、それを奮い起させるためにも一人ごとを言う、撮影・録音中であるのも忘れて大声で歌を歌ったこともあった。

・ビデオで見せているのは天候の良い日であって、吹雪くと真っ白な画像しか映らない。晴天の日は10%未満で90%1以上は悪天候か吹雪。ラジオで天気の予報でも、避難小屋を出ると吹雪、次の日も吹雪。何日も吹雪かないだろうという思いで、天気の回復を待った。

・分水嶺、つまり稜線を歩くのだが、風が雪を飛ばして雪庇が発達する。こんな雪庇の上を歩くと崩れて崖に滑落するので、雪庇を避けながらの踏破であった。

・風のない日、日高山脈の稜線にテントを張り、そこからの眺めは素晴らしかった。本の表紙に使っている。でも、夜になって風が強まり、慌てて山陰に撤収した。

・南の方に来ると雪が少なく西側の雪が飛ばされるので、東側を歩く。そしてテントを張るスペースを作るにも30-40分かかり、クタクタになる。

・カムイ岳で雪に埋もれたテントを張り、明かりを照らしたら雪景色とのコントラストが素晴らしく30枚ぐらいの写真を撮った。この中でベストな写真を裏表紙に使っている。

・リュックサックで担ぐ荷物は45㎏。1日800gの食事で、3,500Kcal。とても満足な量ではなく、食べ終えるとお腹が鳴る。目の前には、大量の食糧があるのだが、あとのことを考えて、手を出すことに耐えた。食料は、カロリー接収を重視したので、まずい。飽きが来るが、却ってこれが良かった。おいしいと、食べたい欲求に勝てなかったかも知れない。まさに空腹との戦いであった。

・2022年4月29日襟裳岬に到着し、64日をかけての「北海道分水嶺縦断・積雪期単独縦断670㎞」の冒険は終わった。北大のワンゲル部の人達が迎えてくれた。64日ぶりに風呂に入り、人間らしい食事にありつけた。体重が10㎏減り、出汁を取った鶏ガラのような姿であった。足のあちこちにマメができていた。過酷な縦走であった証拠だ。

 

7.こういった縦走では、想定外のことが起こり、完全な単独とはいかず、いろいろなサポートを受けた。例えば、テントポールを斜面のはるか下に流してしまい、スキー板で支えてテントを張った。これには、困って代わりのポールを持ってきてもらった。また日高山脈のデポの食料がネズミに食い荒らされてしまい、これもサポートで補充してもらった。サポートを受けはじめるときりが無くなるので、極力受けないことに徹したが、今でも反省している点である。同時に、困った時に助けてくれる友人の有難さをしみじみ味わったことも事実である。

 

8.日記はよく書いたので、全部で6万字になる。一人ボッチで、天気が悪いと動けないので、寝る、食べる、ラジオを聴く、日記を書くしかない。地図の上にひたすら書いた。空腹を紛らわす手段でもあった。

 

9.NHKオンデマンドで、野村良太、北海道縦断で検索すると、ビデオが出てくる。220円で鑑賞する価値はあると思うというのが野村さんの弁。また、NHK Worldでは無料版が見られる。

 

10.その後ヒマラヤ登山に挑戦した。マナスルに登ったが、7500mのところで撤退した。Great Himalaya Trailも企画している。未踏峰の山への挑戦も考えている。また、日本では、富山湾-駿河湾の冬季TJAR(Trans Japan Alps Route)の縦断も企画しているが、途中で人家が出てくるエリアがあるので、これが野村さんの美学に合わないとのこと。現在地図と睨めっこで良いルートを探しているとのこと。

 

11.最後に、来年1月には第一子が生まれるとの報告があった。参加者全員が、野村さんの素晴らしい講演と出産報告に温かい拍手を送った。

Ⅷ.質疑応答

荻野征生さん 74期

Q:デポは4ヵ所、それは避難小屋ですか。

A:デポは4ヵ所とした。デポもやりすぎると、興がさめる。45㎏から50㎏の荷物を担いで出発する。デポからデポまで、150㎞から200㎞を歩くことになる。

 

広本治さん 88期

Q:スマホの電波は入るのですか。

A:分水嶺だと電波は入る。しかし、山陰の木のあるところは入りにくい。緊急用にスマホの使用は極力避けた。

Q:雪庇は危険ですか。
A:雪庇は、いつも、どこにでもある。上から見るとどこの雪庇があるかわかるので、それにかからないルートを選ぶ。

 

浅見晃子さん 114期

Q:自分もラテンアメリカの僻地を旅行した時、疲れて日記を書くのがつらいときがあったが、野村さんの場合はどうでしたか。また、人と話さない時間が長いと孤独で、メンタルの安定を欠くことはありませんでしたか。
A:日記を書くのにマメなタイプではないが、2カ月もたつと忘れるので、それを防ぐために日記を書いていた。最初は、大きな文字で大したことのない内容を書いていたが、その後日中の孤独を忘れるために、自分の思うことを書いて孤独を忘れるようにした。自分は単純な人間なので、メンタルの面ではあまり問題はなかった。晴れた、美しい、うれしいと思うこともあれば、吹雪でめげることも多かった。ラジオはよく聞いたし、貴重な相棒であった。

 

清徳則夫さん 79期

Q:趣味の山を愛して、好きなことをやっているようですが、食えていますか。

A:ギリギリ。夏は山岳ガイドをして稼いでいる。30日中25日働いている。本を出して活動を紹介して以来、最近は講演をする機会に恵まれ、講演料を頂くようになった。でも、ヒマラヤに行くとなると1回で100万円の出費となり、経済的には楽ではない。

Ⅸ.資料 2024.12.18「東京六稜倶楽部講演会」配布資料野村★1216

150人寄稿230907p259

記録:多賀正義(76期)

Ⅹ.講演風景  TRC_3480 TRC_3460TRC_3441TRC_3416TRC_3401TRC_3398TRC_246-0TRC_3543TRC_3530TRC_3509TRC_3507TRC_3475