【262回】10月『資産運用とリスク&コンプライアンス』

 

Ⅰ.日時 2024年10月16日(水)11時30分~13時00分
Ⅱ.場所 バグースプレイス パーティルーム
Ⅲ.出席者数 43名
Ⅳ.講師

河野 次郎さん@90期

(コンサルタント、ファイナンシャル&コンプライアンス・ナビゲーター)

1978年、北野高校卒業。1982年、一橋大学経済学部卒業。シティバンク東京支店に入行。財務部にて予算管理を担当し、報告用データ作成のシステム構築をはじめ、信託銀行設立プロジェクトで証券運用管理システムと信託勘定管理システムの構築を行う。その後クレディ・スイス信託へ移籍し日本初の銀行系投信子会社の業務責任者となる、英国プルーデンシャル生命の投資運用子会社の設立を担当の後、スカダー・インベストメンツに移籍、その直後にドイツ銀行による吸収合併による失職を経験。同時に2002年4月に前職のシティトラスト信託銀行に乞われ業務監理及び情報セキュリティ担当者として復帰。同社および同社グループの法令違反等により資産運用事業から撤退、信託銀行免許の返上を経験し、コンプライアンスへのキャリア転換を決意し、米国フェニックス大学のオンラインコースにて経営学修士号を働きながら取得。
2005年8月、コンプライアンス担当者としてラッセル・インベストメンツに移籍、その後バークレイズ・グローバル・インベストメント(現ブラックロック)、ソシエテ・ジェネラル信託銀行(現SMBC信託銀行)、マニュライフ・インベストメント、メットライフ・アセット・マネジメントにてコンプライアンスの責任者等を歴任。60歳になった2019年6月末日で定年退職。翌7月から2024年6月までの4年間、国際送金業大手のウエスタンユニオンジャパン株式会社にてマネーロンダリング対策を担当。同時に、2015年10月から2期8年、東証上場の「株式会社ランドネット」の社外監査役を、2021年11月から2024年6月までヘッジファンドを運用する、「アトム・キャピタル・マネジメント株式会社」のコンプライアンス担当取締役を勤める。
現在はコンサルタントとして、東京都の外国企業誘致プログラムによる外国企業の対日進出の支援業務と、独立系投信会社のコンプライアンスに関するコンサルティング業務を受託。

Ⅴ.演題 『資産運用とリスク&コンプライアンス』
Ⅵ.事前宣伝 1980年代から90年代の資産バブルとその後始末、2000年以降は、以前から進められてきた日本金融市場の開放と金融制度改革、リーマンショックをはじめとする金融危機や年金運用資産消失などの不祥事など、12の外資系資産運用会社の現場で、業務開発またはコンプライアンス担当として経験したこと、そしてそのなかで学んだことや感じたことを、みなさまとご共有できればと思っています。
外資系の会社で働くということ、転職をする(12社を経験)ということ、証券投資や資産運用をするということ、自分自身のライフマネジメントを行うということなど、資産バブル期とそれ以降の資産運用業界の変遷を振り返りながら、自分の経験を交えてお話しさせていただきたいと思います。
Ⅶ.講演概要 紹介者は同期の樋口義弘さん。

 

「高校生の頃、私は彼とは全く面識がありませんでした。私が社会人となり、東京に出てきて初めて同期会に出席したとき、私に積極的に話しかけてくれたのが河野君でした。彼のおかげで私は同期会活動に参加するようになりました。今日も彼の応援団が大勢出席していますが、それが彼の人柄を表しているのだと思います。
これまで彼に驚かされてきたのが、再会する度に、毎回、彼の名刺が違っていることでした。私たちの世代では終身雇用が当たり前で、転職は特別なことでした。そんな中、河野君は12回も転職することでキャリアアップをはかる異色の存在でした。今では、転職は特別なことではなくなってきましたが、河野君は、昔から、時代の最先端を歩んでこられました。」

 

はじめに SusHi Tech Tokyo(スシテックトーキョー)のこと

Sustainable High City Tech Tokyo
・東京都の国際的イベント、2024年4月27日から5月26日まで有明アリーナで開催された。
・「持続可能な新しい都市価値」を生み出すための東京都が主導するイベント。世界が直面する課題に立ち向かうため、最先端のテクノロジー、多彩なアイデアやデジタルノウハウによって、世界共通の都市課題を克服する。
・2024年5月15日~16日に国内外のスタートアップ企業が集まってコラボレーションする場が設けられた。スタートアップ企業とは革新的なアイデアで創業から数年程度で急成長する企業。
・出資者やベンチャー企業も参加、2日間で国内外よりのべ4万人以上が参加した。
・この場で、私はスタートアップ企業を東京都に誘致する際のコンサルタントとして働いた。

現代金融史(激動の!)・・・配布資料の年表を参照

激動の昭和バブル時代 - 1982年から1995年までの13年間

日米間の貿易摩擦・金融摩擦が起こり、米国からは金融市場を含む国内市場の開放を迫られていた。そんな中で日本では資産バブルが発生し、やがてバブル崩壊して長期的な不況、そして1995年の阪神淡路大震災、その翌月の地下鉄サリン事件が発生した時代。
・1985年プラザ合意。
・1987年米国の株価大暴落(昭和のブラックマンデー)。
・1990年日経平均最高値更新。
・1995年の阪神淡路大震災・サリン事件、円高 79円/$
・この時代は東京のシティバンクの財務部でシステム開発や為替、資産運用などを担当した。
・そのうち金融法人営業部に転属になり、これまでつみあげた実績が台無しになった。
・1995年クレディ・スイスグループへ初転職。

バブル崩壊とスキャンダルと制度改革時代 - 1995年から2005年の10年間

バブル崩壊により、大蔵省、クレディ・スイス、シティバンクなどで次々と金融スキャンダルが発覚、これらをきっかけに制度改革が行われた。大蔵省は解体され金融監督庁(現金融庁)が設置された。クレディ・スイスのグループ会社は不正な不良債権取引により免許取消しの行政処分を受け、シティバンクのプライベートバンク部門は法令違反等に問われ日本から撤退、信託銀行は廃業となった。
・1997年山一証券、三洋証券、北海道拓殖銀行が破綻。
・2007年やっと金融商品取引法が施行された。これは、投資家が安心して投資を行える環境を作り、取引市場の公平性と透明性を向上させるために儲けられた法律である。
・クレディ・スイスのスキャンダルをきっかけに転職、1999年英プルーデンシャルの運用子会社の日本現地法人の立ち上げの仕事など、いくつかの会社を経て2002年シティトラスト信託に復職するが、2005年シティバンク・グループのスキャンダルにより信託銀行は自主廃業となり失職した。この時期に遭遇した様々な経験から、ついに腹をくくってコンプライアンスへと職種の方向転換を決心する。
・この時、スキャンダルが起きることが無いよう、経営学修士とコンプライアンスの勉強を開始、資産運用の専門性に加えて、経営とコンプライアンスの専門性を身につけた。
・2005年コンプライアンス・オフィサーとしてラッセル・インベストメンツに転職。

 

失われた20年、金融市場雌伏の時代 - 2005年から2019年の14年間

金融庁が設置され、金融商品取引法が整備されて制度が整うにつれて会計制度や年金制度の問題点が浮き彫りになり、様々な問題が発生しつつも金融市場に関わる制度が整備された時期。
・2007年消えた年金記録問題など、この時期は大小いろいろなスキャンダルが起こっていたが、スキャンダルに対応するコンプライアンス・オフィサーとしていろんな会社へ転職した。
・2019年メットライフ・アセットを定年退職した。

 

次へ ― 2019年(令和!)から

・コロナ禍により社会の流れが変わった。
・2019年に60歳で定年を期に過酷な資産運用のコンプライアンスを退き、経験を活かした仕事へ
・2023年より東京都の外国企業誘致事業のコンサルタントを始める。
・2024年より鎌倉投信と業務委託契約によりコンサルティングを始める。

 

外資(アメリカ系)企業で働くと言うこと

1.アマノジャクの無謀な選択 アメリカの銀行

・基本的にアマノジャクな性格で、人の行かない大学、人の行かない外国の銀行を選んできた。
・シティバンク時代は財務部から始めて、資産運用の最先端の業務にもチャレンジし実績を積み上げたが、出来上がった信託業務の管理を続けることに疑問を感じ、金融法人営業にチャレンジをした。これがバブル崩壊の金融不況と重なる最悪の時期だった。チャレンジする前に、自分でよく調べずよく考えず最悪の選択をしてしまった。(無謀な選択→しくじりと挫折)
・「資産運用の管理業務が自分の居場所」と考え直してシティバンクを退職し、別の会社で資産運用業務の管理業務のプロとしてやり直すことにした。(始めての転職)

 

2.大切なことはここで学んだ アメリカの銀行

・外資系企業で働く上で大切なことは、シティバンク時代に学んだ。合理的な研修プログラム、グローバルな研修地、ロジカル・シンキング、自主性、グローバルな人事異動、邦銀文化の特殊性など。
・一番印象的だったのはドラスティックな組織変更。つまり本社の経営方針により、思い切った部門売却や部門縮小が短時間で決行されること。この事から「自分の居場所は自分で見つける」という教訓を得た。

 

初めての転職としくじり

3.転職するということ

・金融業界は、扱う対象が「お金」であり業務内容は国や企業に関係なく共通のものが多く、標準化が進んでいた。経験者採用の枠組みが設けられていた。金融業界は実績を持っていれば転職しやすい業種だった。
・最初の転職をした頃は、日本の転職市場の創世記と重なる。当時は、日本国内の外資系企業も、日本の慣行に準拠した終身雇用から成果主義へと変わっていく時代だった。
・シティバンクの充実した福利厚生から離れたことで、就業条件・社会保険・年金・住宅ローンなど、すべて自己責任で行わなければならなくなった。
・最初の転職をきっかけに、人生のリスク管理について考え、当時、出来たばかりのFP(ファイナンシャルプランナー)の資格を取得し、個人で証券・マンション投資を開始した。

 

4.勘違いだらけの転職

・転職してみると、初めてのことばかりで戸惑うことが多かった
・最初の転職先(クレディ・スイス)では前の会社とはカルチャー・規模・組織の構成などが全て違っていた。人間関係を新たに構築しなくてはならなかったし、同じ業務でもその背景ややり方が全く違っていた。資産運用業務でも、これまで自分たちで開拓してきた最新の年金運用業務から、伝統的な業界の規制に縛られた不自由な投資信託業務を扱うこととなった。
・次の転職先の英国プルーデンシャル(生命保険会社)の資産運用子会社の設立で、初めて取締役として参画。それぞれに経験豊かな部門のリーダーたちだったが、会社の経営については素人の集まりで苦労した。さらに本社の経営方針の変更により日本の生命保険会社の買収へと大きく方向転換が行われ、資産運用業務が主要なビジネスではなくなった。
・「それまでの経験や実績を活かせると思って転職しても、想定外のことばかりで何が起こるか分からない」ことを実感した。

 

不祥事から、コンプライアンスへ転向

5.不祥事とコンプライアンス

・クレディ・スイスは、バブル崩壊の日本の金融機関の不良債権の後始末に不適切な商品の提供を行い、行政処分を受けた。
・シティバンクは、日本初のプライベートバンクの設立の際、法令が整備されていない中での法令違反が発覚し、行政処分を受けた。
・当時は、アメリカでも日本でも、コンプライアンス・リスク認識が欠落していた。金融機関が利益を優先して無理な拡大(合併や統合の繰り返し)を進めており、ガバナンス(経営の管理体制)も整わないまま、特に日本では不良債権の後始末が行われ、政府の監督体制も法律も追いついてなかった。コンプライアンス人材が居なかった。海外の経営陣と日本の現地法人との相互不理解も起こっていた。
・経営陣と現地マネジメントの相互理解を目指して経営学修士を取得。働きながら、オンラインで勉強した。

 

6.経営学修士(MBA)

・外資系マネジメントの共通言語(MBA)を身につけたかった。
・それまでやってきた業務管理からコンプライアンス業務へと職種転向するきっかけとしたかった。
・人と組織を動かすための思考方法として、ロジカル・シンキングだけではなく、前提の根拠や結果の検証も含めたクリティカル・シンキングの重要性を学んだ
・経営学の中でも国際経営に特化したコースで、異文化配慮事項・国と文化を越えた組織構造など、外資系企業では必要不可欠な学びを得た。

 

その後の転職事情、ジョブ型転職と得たもの

7.その後の転職事情

・前職の同僚の紹介(これまで一番多くて確か)
・企業からの直接スカウト(SNSの発達による)
・資産運用業界に特化したブティックタイプのエージェント(ここ10年くらいで増えてきた)

 

8.外資系のジョブ型転職

・外部からの人材確保のため、明確な業務分掌の「ジョブ型」という働き方システム。
・外資系の資産運用業界ではジョブスペックが共有されていて、人材の比較検討が可能となっている。
・対して日本の年功序列・終身雇用は、「メンバーシップ型」と呼ぶ。

 

9.12回の転職で得たもの

・多様な価値観と複眼的な視野が持てるようになった。
・職務重視のプロ志向(資産運用の管理業務のプロからコンプライアンスのプロへ転向)
・専門分野での幅広い経験と深い知識
・組織ごとに異なる個別事情と普遍性の区別がつくようになった。
・一緒に戦ってきた仲間との緩いネットワークを得た。

 

企業も個人もリスク管理

10.企業経営のリスクと対応

・企業にとっては、その企業の目的が達成できないことがリスク。
・組織の目的を明確化にしなければ、リスクが特定できない。
・リスクの変動要因を特定して備える、個別リスクの評価と管理を行う。

 

11.人生のリスクと対応

・人生の目的は幸福を継続して感じていられること(ウェルビーイング:心身の健康+必要十分な資金+社会との繋がり)
・企業と同じく目的達成できないことが最大のリスク
・リスクの変動要因を洗い出し、個別に備える。他からの助けを借りる事も大切。

 

まとめ:これからのライフ・プランと資産運用

12.無謀な選択から得たもの

・専門性、オーナーシップ(自主性)、論理的思考と決断と行動力、クリティカル・シンキングをベースにした行動や思考が出来るようになった。
・日本に住む日系人の日本人としての自覚(国際感覚の基本)を持つようになった、
・マネジメント&ガバナンス、リスク管理とコンプライアンスについて学んだ。
・人生のリスクと自己管理と自己責任の感覚が身についた。

 

13.令和、次へ

・崩れつつある「メンバーシップ型」ジョブ。個人の自己責任の時代が始まった。
・会社の優先順位が、社員オンリーから株主・社会貢献に移行しつつある。
・ビジネスの流動化が進んでいる。大企業が全て抱えていた時代から、部門戦力の見直し(売却と合併)スタートアップ企業のエグジットとしての売却、中小企業の後継者不足対策としてのM&A。
・若者の意識の変化(ポジティブ思考、個性、自己肯定感が高い)
・転職市場の拡大と多様化が進む。

 

シニアのリスクとライフ・プラン

・ウェルビーイングの実現、主観的な幸福感を高める。
・3つの人生資産(①健康な心と体②必要十分な資産③健全な人間関係と社会とのつながり)
・フィンウェル研究所 – FinWell Research LLC -
・ほんとうの定年後 坂本貴志
・鎌倉投信

 

Ⅷ.質疑応答

橋口善郎さん 78期

Q:私は、商社の財務関係の仕事に携わり、2000年に引退するまではシティバンクと縁のある仕事をしていました。今日は私が引退してからの金融界の事情について、全く知らなかった話もでてきました。実際の金融スキャンダルの現場では、どのように身をかわされてきたのですか?

A:クレディ・スイス時代のスキャンダルでは、私の専門や私が所属していた部門は該当部門から少し距離がありましたので、直接関わることはありませんでした。よく知っている前職の同僚や先輩が当局から厳しく問い詰められているのを遠くで見ている立場でした。また、シティバンクのプライベートバンクのスキャンダルは、特定の支店が免許取り消しとなり日本から撤退を余儀なくされ、逮捕者も出た大きな事件でありました。

 

村井正親さん 96期

Q:農林中央金庫(農林中金)が、外国債券の運用で多額の損失(最終損益4000億円余り)を出したニュースがこの春に流れていました。この問題について、私は農林水産省・経営局局長として、金融庁とも協力し、農林中金の経営や投融資・資産運用のあり方について検証・指導・監督する仕事にかかわってきました。農林中金(JA:農協、JF:漁協、JForest:森組などの共同組織により設立された系統金融)という特殊な事業体の運営について、一般論で良いのでお聞かせ下さい。

A:農林中金さんは資産運用業界ではとても大きな存在です。日本で一番大きなお金を持っているお客様で、日本国内最大規模の機関投資家として知られています。日本全国の農協等の系統金融機関の資金を預かり、運用を一手に引き受けていると認識しています。普通の銀行であれば自身の支店ですから本社が経営方針を統轄管理しますが、農林中金と独立経営をされている系統金融組織との関係のような場合、指揮系統が分断されていますので、経営方針の統轄を図るのはとても難しいと思います。それは日本にいる外資系金融機関の本国の本社と現地法人との関係に似ているかも知れません。海外にある本社とは言葉や法律や商品が違いますから価値観も違ってきますので、ある意味、本社から分断されているようなものです。すると、本社からの指示でも、わかりやすいところしか実行しない、自分がやりたいことしかやらない、という状態に落ち着いていきます。分断されている組織が、同じ価値観を持つことや経営方針を共有するためには、より一層のコミュニケーションを取ることが必要だと思います。

 

増田昭雄さん 90期(学年幹事、大阪より参加)

Q:転職すると、給料は上がりますか?

A:必ずしも上がるわけではありません。転職するときの状況、つまり私の状況と転職先の双方の状況により、上がることも下がることもあります。私の知識や経験、専門能力がその会社に必要とされていれば、高い給料でオファーをもらえますし、在籍している会社の状況や自分のポジションの状況が怪しくなれば、安い給料でも他社からオファーをもらえば移ることもあります。そんな状況で、転職後間もなく本来の条件でオファーを頂いたので3か月程度で再度転職すると言うような、不義理なことをしたこともあります。転職先は、社会状況や自分の状況、転職先の会社の状況、そして自分が何をやりたいか、によって変わってきます。

 

樋口義弘さん 90期

Q:家族から転職をしたいと相談された時、河野さんならどのようなアドバイスをされますか?

A: 私自身、よく考えもせず勘違いをしたまま転職して大変な思いをした経験がありますので、彼(彼女)がよく考えられるように手助けをします。まず、今なぜ仕事をしているのか?仕事は面白いのか?今の仕事を辞める理由などを彼(彼女)に尋ねます。そして、次に何がしたいのか、どういった所へ行くのか、本当にその仕事がしたいのか、今の仕事とどう違うのか、先のことを考えているのか、転職したら自分でやらなくてはいけないことが本当に分かっているのか、を確認します。その上で先に進むべきか、現状のままとどまるべきかをアドバイスすると思います。

 

Ⅸ.資料 プレゼンテーションデータ「Tokyo Rikuryo 20241016 Slides」

記録:野田美佳(94期)

Ⅹ.講演風景  TRC262-00 TRC262-01 TRC262-02 TRC262-03 TRC262-05 TRC262-06 TRC262-07 TRC262-08 TRC262-09 TRC262-10 TRC262-11TRC262-12