【258回】6月「歌謡曲あれこれ~あなたも作曲してみますか~」

Ⅰ.日時 2024年6月19日(水)11時30分~13時00分
Ⅱ.場所 バグースプレイス パーティルーム
Ⅲ.出席者数 66名(会場52名、zoom14名)
Ⅳ.講師

大谷 明裕(おおたに めいゆう)さん@85期

 

作曲家・シンガーソングライター(楽器:ギター)

(公社)日本作曲家協会(常務理事)

(一社)日本音楽著作権協会(正会員・監事)

日本音楽著作家連合(理事長)

(一社)日本音楽作家団体協議会FCA(常任理事)

 

 

本名 大谷彰宏

1954年 大阪市出身

1973年 北野高校卒業(85期)

1976年 早稲田大学中退

学生時代からのバンド活動を経て、作曲家・曽根幸明氏に師事。その後、作編曲家・池多孝春氏より編曲・理論を学ぶ。

1983年「玄海船」歌:伊波よしひと(東芝EMI)“中川昭”名義で作曲家デビュー。

1984年「冬木立」歌:南一誠(ミノルフォン)を大谷明裕として発表。

現在に至る

 

・主な作品:「今夜はドラマチック」(純烈) 「離さない離さない」(新浜レオン)

「居酒屋『昭和』」(八代亜紀) 「願・一条戻り橋」(小金沢昇司)

・最近作:「しろつめ草」(こおり健太)「知りたがり」(浜博也)「万燈籠」(原田波人)

ミニアルバム「願い、そして感謝」(大谷めいゆう)

・代表作品:「倖せにしてね」

作詩:荒木とよひさ 作曲:大谷明裕 編曲:伊戸のりお

歌:長山洋子(1996年日本レコード大賞・優秀作品賞)

「こぼれ月」

作詩:坂口照幸 作曲:大谷明裕 編曲:前田俊明

歌:田川寿美(2000年 日本レコード大賞・優秀作品賞)

「満天の瞳(ほし)」

作詩:村山由佳(小説家) 作曲:大谷明裕 編曲:伊戸のりお

歌:氷川きよし

(2013年日本レコード大賞・優秀作品賞、日本有線大賞)

「パッシング・ラブ」

作詩:朝倉 翔 作曲:大谷明裕 編曲:田丸 良

歌:シュー・ピンセイ

(1994年日本レコード大賞・新人賞)

「酔芙蓉」

作詩:坂口照幸 作曲:大谷明裕 編曲:伊戸のりお

歌:島津悦子 (1995年キングレコード)

「ありがとう…感謝」

作詩:志磨ゆり子 作曲:大谷明裕 編曲:伊戸のりお

歌:小金沢昇司(2001年キングレコード)

大谷明裕 – Wikipedia

大谷明裕 作曲家 動画 (bing.com)

 

Ⅴ.演題 『歌謡曲あれこれ~あなたも作曲してみますか~』
Ⅵ.事前宣伝
Ⅶ.講演概要 大谷さんは第76回東京六稜倶楽部(2009年4月15日)の講演に次いで2回目のご登壇となる。当日は大谷さんの同期15名(オンライン参加3名を含む)に加え、大谷さんを慕う陸上部の後輩も多数参加した。紹介者は大谷さんの同期で建築家の古平真さん。古平さんは大谷さんのスタジオ付きの自宅を設計された。古平真建築研究所 > 実績:住宅 (archicode.com)「85期の高校時代を紹介しますと、一年生の遠足先は1970年の大阪万博でした。世の中は高度成長期で、明るい未来が開けているとみんなが希望を持って大学に進学しました。85期は120人以上が京都大学に合格しました(全国一位)ところが大学在学中に第一次オイルショックが起こり、私たちが卒業する頃は、それまで予想もしなかった就職難の時代を迎えていました。そのため従来と比べると就職先が分散し、ユニークな仕事をしている仲間が多いように感じます。その中の一人が大谷明裕さん(本名:大谷彰宏さん)です。

大谷さんは作曲家・編曲家として数々のヒット曲を生み出され、カラオケには400曲を超える作品が登録されています。主な受賞歴は、1996年長山洋子さんの「倖せにしてね」の日本レコード大賞・優秀作品賞、2012年小金沢昇司さんの「俺の夕焼け」で日本作詩大賞・優秀作品賞、2013年氷川きよしさんの「満点の瞳」の日本レコード大賞・優秀作品賞、など、その他多くの作品で受賞されています。

またシンガーソングライターとしても活動され、いくつものアルバムをリリースされておられます。中でも「 俺たちのC’est la vie(セ・ラ・ヴィー)」は、私たち青春時代の甘くほろ苦い思い出がよみがえる作品です。

現在は、日本作曲家協会・常務理事、日本音楽著作家連合・理事長、その他の団体でも要職を務められ、日本の歌謡界の発展に尽力・貢献されています。」

 

1.YouTubeによる「枯葉の輪舞曲(ロンド)」プロモーションビデオで自己紹介

自分で作曲した曲を演奏して披露することは、僕にとっては大変楽しいことです。

「枯れ葉の輪舞曲」大谷めいゆう(テイチクレコード)

大谷めいゆうソロアルバム「願い、そして感謝」に収録

昨年(2023年)7月19日にテイチクレコードよりリリース

収録曲:

「枯れ葉の輪舞曲」新曲。シャンソン風アレンジ、女性的な雰囲気を意図した作品

小金沢昇司の「ありがとう・・・感謝」と「願・一条戻り橋」の2曲をセルフカバー

原大輔の「これからの人生」をセルフカバー

「君へ」娘のために書いた曲

など

 

最近はいわゆる“大人の歌”が聞こえてこなくなりました。聞こえてくるのは、早口で何を言っているのかよくわからない若い人の音楽ばかりで、人からは「君は本当に音楽を作っているのか?」と問われるようになりました。

JASRAC賞をみると、その年に一番売れた作品がわかります。賞が創設された1980年代は、演歌・歌謡曲が毎年JASRAC賞を受賞していました。

1982年は「奥飛騨慕情」竜鉄也さん

1983年は「北酒場」細川たかしさん

1987・1988年は「命くれない」瀬川瑛子さん

1989年「酒よ」吉幾三さん

1990年「乾杯」長渕剛さん

ところが1990年を最後に、大人が一緒に歌って楽しむ曲(演歌・歌謡曲)が売れなくなってしまいます。この年は、「歌のベストテン」「トップテン」「歌のヒットスタジオ」などの歌番組が次々に打ち切られ、ポップスと演歌を一緒に楽しむ番組がテレビから消えてしまいました。代わりに大手広告代理店が番組を制作するようになり、演歌・歌謡曲が切り捨てられる風潮に変わっていったのだと思います。

1992年の「ラブストーリーは突然に」は当時大流行していたトレンディードラマのテーマ曲です。2003年の「千と千尋の神隠し」はアニメーション映画から流行した作品、これ以降、JASRAC賞受賞曲はアニメーションの曲(アニソン)の時代になっていきます。友人の編曲者・宮崎慎二氏はポケモンの曲でJASRAC賞を2年連続受賞してポケモン長者になりました。2024年のJASRAC賞の金賞はYOASOBIの「アイドル」で、これはアニメ【推しの子】のオープニング主題曲、銀賞・銅賞もアニメの曲が受賞しました。

国内外で大人も楽しむようになった日本のアニソンは、もはや子供の歌とは言い難いですが、今のアニソン主流時代では、大人の歌である、演歌・歌謡曲は、埋もれてしまっているのが現状です。

※JASRAC:日本音楽著作権協会。作曲家・作詞家が著作権を守るために創設した組織

※JASRAC賞:音楽配信、カラオケ、CMなど、前年度にJASRACからの著作物使用料の分配額が多かった作品の作詞者・作曲者・音楽出版社の功績と栄誉を称え表彰するもの。1982年創設。

 

 

 

2.どのようにして作曲家になったか

学生時代は、仲間たちとバンドを組んで音楽を楽しんでいました。大学を卒業したら、新聞記者か政治関連の仕事に就くつもりで、将来、自分が音楽の仕事をするとは予想もしませんでした。1973年にオイルショックが起こり、そのあおりを受けて父の事業が上手くいかなくなり、生活が一変、大学中退を余儀なくされ、自分の将来の進路を見失ってしまいました。それでも色々なアルバイトをしながら、バンド仲間とライブ活動を続けていました。そのうち音楽仲間からの後押しもあり、プロの音楽家を目指そうと思うようになりました。

プロのシンガーソングライターになるために、たくさんのオーディションを受けましたが、そんなに簡単に受かるものではありません。諦めかけたとき、それまで何も言わなかった母親から、作曲家・曽根幸明先生が母の“またいとこ”だという事実を初めて告白され、ギターを持って曽根先生に会いに行きました。先生に自作の歌を聞いてもらい、師事することになりました。

曽根先生には、音楽を遊ぶこと・音楽を楽しむことはたくさん教わりましたが、いわゆる“現場で見て覚えろ”タイプの先生で、音楽の基本理論や編曲の方法論は身につきませんでした。そこで曽根先生と組んでいた池多孝春先生のところで、写譜の仕事をしながらアレンジの勉強をさせてもらうようになりました。

先生方について歩くうちに色々なディレクターと知り合うようになり(人脈作り)、そのうち自作の曲を見てもらえるようになり、それらが少しずつ採用されるようになりました。そうやって本格的に作曲・編曲の仕事をずっと続けて、たくさんの作品を発表して、そのうちあちこちで表彰されるようになると、レコード会社から「自分で歌ってみる?」と声がかかるようになりました。そこで自分のアルバムを制作し、レコード会社からリリースされるようになって、ようやくプロのシンガーソングライターとしても活動できるようになりました。

 

 

3.新作歌謡曲の発表およびCD発売までの道筋

建築家に創作建築家と注文建築家がいるように、作曲家にも創作作家と注文作家がいます。私は演歌・歌謡曲ジャンルの中で、ソフト演歌・歌謡曲の注文作家として活動しています。

1)レコード会社(制作会社)のディレクターが担当歌手の新曲を企画する。作品のテーマや方向性を思索する。

2)企画した作品のテーマに応じて、作家の作風を考慮し、作詞家・作曲家を指名(発注)し、制作打ち合わせが行われる。詩を先行させる曲作り(詩先)と曲を先行させる曲作り(メロ先)など色々な手法がある。

3)作品の仕上がりイメージから編曲家を指名(発注)し、編曲の打ち合わせが行われる。

並行して、歌手の音域に合わせて、キーあわせを行う。

4)スタジオを予約していよいよレコーディング。

5)編成会議や販売会議を経て、販売に至る。

 

 

4.編曲について

編曲とは、曲を飾ることです。作品の仕上がりイメージに沿うよう、楽器を選び、リズムやイントロやコード進行を決めます。簡単に言うと、編曲とはカラオケの伴奏を制作することです。編曲の違いで作品の印象も大きく変わります。

 

「ありがとう…感謝」の編曲を比較。

小金沢昇司ヴァージョン :フルオーケストラ演奏

大谷めいゆうヴァージョン:バンド演奏

 

 

5.あなたも作曲してみますか?

1)作曲方法について

僕が作曲するときは、最初は鼻歌で作ります。最初から楽器を持つと、自分の好きなコード進行を選んでしまって結果的に同じパターンの曲しか作れなくなってしまうからです。

先に歌詞が決まっていたら、その詩を覚えるくらい何度も読んで、詩のイメージをつかんでからまず鼻歌を歌ってみます。何度も鼻歌で歌っているうちに、曲の方向性が決まり、充実したメロディーが生まれてきます。そのメロディーから譜面を作ります。そこで初めて楽器を持って実際に歌ってみます。いいなと思えば曲の完成となりますし、駄目だったらもう一度最初からやり直します。

 

2)一番簡単な作曲方法について

詩先:言葉のイントネーションを付曲のヒントにする方法

例1)朝の 明るい 光の 中で(あさの あかるい ひかりの なかで)

例2)冷たい 雨の 降る 夜に(つめたい あめの ふる よるに)

 

①歌詞を読み込んで、言葉のイメージから調(長調・短調)を決める。

例1:明るい感じ→長調の音階で付曲する

例2:暗い感じ→→短調の音階で付曲する

 

②言葉のイントネーションを元に、隣同士の音を並べてみる。(一番簡単な方法)

標準語ヴァージョン・関西弁ヴァージョンなど

 

③音で遊ぶ。音を上手に飛ばすとおしゃれなメロディーが生まれる。音の長さを変えてみる。

 

3)曲のつくりについて

作曲にはこの他にもたくさんの手法があります。

演歌・歌謡曲は詩先が中心です。詩で表現された物語や世界観を伝えるお手伝いをするのがメロディーであると僕は思っています。良いイントロには人を引きつける力があります。イントロから続くメロディーが良いと、詩に関心を持つようになります。詩に感動すると、その歌を好きになってもらえます。

海外の音楽は一つの音に言葉をたくさん入れます。言葉の韻(脚韻)を踏むのが特徴です。

日本の演歌・歌謡曲は一つの音に一つの文字を入れて、母音を引っ張ります。わ~~たし

日本文化・文学の基本は五七五の音律で作られています。長い物語を簡潔に短く集約させて、語間と行間から物語を感じて味わうのが日本の音楽の素敵なところです。

ところが、最近のポップスの特徴は、イントロとエンディングが無いつくりになっています。いきなり歌が始まります。そして最初から最後まで隙間無く言葉を詰め込んでいるので、歌詞を味わう暇も、息継ぐ暇もありません。自分では歌いづらい曲になっています。

YOASOBIの楽曲「アイドル」は最初から最後までサウンドと歌詞がびっしりと詰め込まれていますが、それでもメロディーだけを切り離して分析すると、実はちゃんと日本調の音階が使われています。きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」も同じ特徴を持っています。

 

 

質問コーナー フリートーク

質問者 広本治さん(88期)

Q:NHK「沼にハマってきいてみた」の「歌ってみた」沼の回で、MIX師が取り上げられていました。編曲者とMIX師は別物だと思うのですが、MIX師の著作権はJASRACで保護されているのですか?

A:

ここで取り上げられた「歌ってみた」沼は、ボーカロイドに歌わせている曲(ボカロ曲)を、人が歌う動画にすることです。MIX師は、「歌ってみた」動画を制作する際に、ボカロ曲のカラオケ音源と歌い手のボーカル音源をミックスすることが主な作業です。つまり、MIX師は単なるエンジニアですので、著作権はありません。

ついでにいうと歌い手さんにも著作権はありません。歌い手さんの歌唱やダンスなどの実演については「著作隣接権」が発生します。

JASRACは作曲者・作詞者・編曲者・音楽出版社の著作権を管理する団体です。

現状では、JASRACは生成AIで作成された音楽は管理しない事になっており、人が創作した作品のみ管理しています。ただ、最近の若い人の中には生成AIで作った音楽を基本にして作品を創作する人もいて、こちらはJASRACで管理しています。しかしスウェーデンの企業が運営するスポティファイサービスでは生成AIで作った作品が正式に登録され、流されています。

歌ってみた動画は歌い手・MIX師・イラスト師・動画師の分業で作られています。一般の音楽も分業で制作されますが、アーティストによっては全部ひとりでやってしまう人もいます。

早稲田大学の後輩の小室哲哉君は、CD制作まで全て自分でやる人ですので、その報酬は莫大な金額になります。彼の曲作りは従来の方法とは全く逆の手順をとります。まずサウンド(編曲)を決めて、メロディーを決めて、最後に歌詞を当てはめるのです。(オケ先)

サウンドから作る音楽は、止まったメロディーが特徴です。最近の若い人の音楽にはそういう作品が多いです。メロディーを充実させるのには、アカペラ(鼻歌)で作るのが一番です。アカペラで作るのが、充実した良い音楽を作るのには一番だと、僕は信じています。

 

 

質問者 橋口善郎さん(78期)

Q:著作権の存続期間は何年ですか?

A:元々は作者の死亡後50年間とされていました。米国は、ウォルトディズニーの死後50年が来る前に、死亡後70年に延期してディズニーサウンドの著作権を守りました。日本もそれに倣うよう要求されて、作者死亡後70年ということになっています。

 

Q:JASRACから分配されるお金(金額)について教えて下さい

A:著作権料は卸売価格の10%です。それを作詞家・作曲家・音楽出版社の三者で分け合います。CDが一枚売れると、作曲者には印税が一曲あたり大体4円弱入ってきます。

CDが売れても、編曲家には印税は入りません。ただ、公表時編曲者、つまり発売してすぐのオリジナル編曲者にはカラオケ使用料から1/12渡すことになっています。カラオケが1回流れると、もらえるのは1円ぐらいです。僕はこれまで1,000曲くらい発表してきましたが、そのうち、480曲くらいがカラオケに登録されています。その中でよく歌われているのは100曲くらいです。歌われない曲は、登録の抹消はされないらしいですが、見つけにくくなっていきます。

動画サイトYouTubeで曲が視聴されるとき、YouTube初期の頃はほとんどもらえませんでした。以前はだいたい1万回流れて1円、今は100回流れて1円ぐらいもらいます。

純烈の「星降る夜のサンバ:作曲 大谷明裕」「今夜はドラマチック:作曲 大谷明裕」などはカラオケバージョンも合わせると300万回以上流れています。レコード会社は、宣伝広告費として儲けられますが、作曲家には著作権料はほとんど入ってきません。

今はCDが売れなくなってきて、配信が中心の時代です。ポップスの若手作家の曲は何億回も再生されますが、演歌・歌謡曲はそこまで視聴されておらず、演歌・歌謡曲作家には苦しい時代です。僕にはお陰様でこれまでの累積がありますから、生活できますが、新しく入ってくる演歌・歌謡作家が食べていくのは大変です。

僕がこの世界に入った頃には、平尾昌晃さんとか川口真さんなどの大ヒット作家がいて、憧れの存在でした。僕らも憧れられる存在にならないと、演歌・歌謡曲の世界は廃れていくのだろうなと思います。

現在は、日本作曲家協会の常務理事、JASRACの監事、音楽著作家連合の理事長などの公の立場を利用して、若い人たちの登竜門になるようなコンテストを企画・運営し、歌謡界が廃れないよう活動を続けています。

 

 

「居酒屋『昭和』」(八代亜紀)をYouTubeで紹介して終了。

最後に、僕が八代亜紀さんのために書いた曲を紹介します。昭和世代にはしみる曲です。

動画:「居酒屋『昭和』」八代亜紀

 

 

 

記録:野田美佳(94期)

Ⅷ.資料 添付資料 歌謡曲あれこれ