【252回】12月「『役に立たない科学』が役に立つ!?」

Ⅰ.日時 2023年12月20日(水)11時30分~12時58分
Ⅱ.場所 銀座ライオン7丁目店クラシックホール(Zoomによるインターネット中継)
Ⅲ.出席者数 63名(会場 31名、zoom 32名)
Ⅳ.講師

初田 哲男さん@89期(理化学研究所数理創造プログラム(iTHEMS)プログラムディレクター)

1977年3月 大阪府立北野高校 卒業
1981年3月 京都大学理学部 卒業
1986年3月 京都大学大学院 理学研究科 物理学第二専攻 修了(理学博士)
1986年4月 高エネルギー物理学研究所 物理系理論部 客員研究員
1988年4月 ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校 博士研究員
1990年4月 ヨーロッパ共同原子核研究機構(CERN)理論部 リサーチアソシエイトフェロー
1990年9月 ワシントン大学原子核理論研究所(INT)リサーチアシスタントプロフェッサー
1992年9月 ワシントン大学物理学科 アシスタントプロフェッサー
1993年4月 筑波大学物理学系 助教授
1998年4月 京都大学大学院理学研究科 助教授
2000年4月 東京大学大学院理学研究科 教授
2012年4月 理化学研究所仁科加速器研究センター 主任研究員
2013年4月 理化学研究所理論科学連携研究推進グループ(iTHES)ディレクター
2016年11月-現在 理化学研究所数理創造プログラム(iTHEMS)プログラムディレクター
2019年4月-現在 東京大学名誉教授
2020年10月-現在 (株)理研数理 チーフサイエンスアドバイザー

 

受賞

1997年 第12回 西宮湯川記念賞
2012年 第17回 日本物理学会論文賞
2012年 第23回 つくば賞
2012年 仁科記念賞
2014年 文部科学大臣表彰(科学技術分野)
2016年 第57回 東レ科学技術賞
(例)「役に立たない」科学が役に立つ – 東京大学出版会 (utp.or.jp)

Ⅴ.演題 『「役に立たない科学」が役に立つ!?』
Ⅵ.事前宣伝 スマートフォンを使って目的地まで道案内してもらえるのは、100年ほど前に量子力学や相対性理論が見出されたからに他なりません。インターネットで安全に買い物ができるのは、古代の数学者が発見した素因数分解を現代的に活用した暗号があるからです。このように、「役に立つ」知識と「役に立たない」知識の間に明確な境界はありません。基礎研究は、「まだ応用されていない」知識を生み出す原動力という意味で、「新たな知の探究」と「未来への投資」という2つの側面を持っています。本講演では、いくつかの例をあげながら、基礎研究と現代社会の新しい関わり方について、皆さんと一緒に考えたいと思います。
Ⅶ.講演概要

なぜ物質は安定なのか?

まず、私がどういう研究を行なっているのかをご紹介します。私の研究テーマの一つは、「なぜ物質は安定に存在できるのか」という湯川秀樹以来の謎についてです。われわれの体重の 99.9 パーセントは原子核というものでできています。原子核は 1 兆分の 1 センチメートルくらいの非常に小さな領域に、陽子と中性子が集まってできています。湯川さんが 1935 年に「中間子論」というのを発表したときには、そもそも原子核ができるために働く力の正体は何かということがポイントでした。しかし陽子と中性子が引き合ってばかりいると原子核は潰れてしまうこともわかってきました。なぜ原子核は潰れずに、物質世界は安定に存在できるのか。これは、湯川さんの理論だけでは説明しきれない謎でした。私たちは、2007 年ごろに、理論的研究とスーパーコンピュータによる数値的研究でこの謎を解明しました。実は、陽子や中性子が互いに近づきすぎると反発力が働くことで、原子核が安定化していることを理論的に示したのです。現在、私は陽子や中性子の数をさらに増やしてできる「中性子星」というたいへん密度の高い星の研究をおこなっています。中性子星が、どれくらいの重さになったら潰れてブラックホールになるのか、どこまでなら耐えられるかという問題です。この解明には、スーパーコンピュータだけでなく、量子コンピュータの力を借りる必要があると考えています。ところで、私の研究は一体何の「役に立つ」のでしょうか?

 

知識は唯一、使えば使うほど増える資源である

まず「役に立つ」の意味は、人によって違うということを理解しておくことが重要です。たとえば、私が行っているような基礎研究の場合、「自分の研究が、ほかの科学研究の役に立つか」というのが、主な「役に立つ/立たない」のポイントになります。産業界に身を置く立場の方から見れば、「産業振興に役に立つか/立たないか」、社会問題について考えている方であれば、「地球温暖化の解決に役に立つか/立たないか」がポイントになるかもしれません。あるいは、もっと文化的な立場から、「われわれの視野の拡大に役立つか/立たないか」という考え方もあるでしょう。
このように、「役に立つ」といってもいろいろな意味がありますが、すべてに共通する点は、知識を蓄えていくことの重要性です。知識というのは、ほかのものと違って、使えば使うほど増えていく財産であり、資源なのです。

 

基礎研究の本質

ここからは、基礎研究の意義についてお話しさせていただきます。研究には大別して「基礎研究」と「応用研究」の二つがあります。教科書的な定義としては、原理の追究と普遍性の探究を行うのが「基礎研究」となります。一方、「応用研究」では、原理がわかったときに、それが持つ可能性をどうやって広げていくか、という点が追究されます。さて、科学者にとっての「常識」のようなもので、実はあまり社会で十分に認識されていないことをいくつか挙げたいと思います。
一、研究の発展は循環的である
二、基礎研究は波及効果が大きい
三、基礎研究には長期的視点が必要である
四、基礎研究は多様性が本質的である

 

まず、科学の発展は「循環的」なものであり、基礎研究あるいは応用研究が独立して進むものではありません。応用研究で得られた新しい技術を用いることで新たな基礎研究が生まれ、またそれが新たな応用研究を生み……というような循環が科学の発展の流れです。しかも、それは一本の流れではなく、何本もの流れが複雑に絡み合いながら進みます。
次に、基礎研究の特徴としては、大きな「波及効果」をあげることができます。アインシュタインの相対性理論や、ディラックの相対論的量子力学などは、基礎研究の最たるものですが、一方でそれらは実社会にも大きな波及効果を生んでいます。さらに、基礎研究には「長期的視点」が必要です。これについてはあとで、ヒッグス粒子を例に出して説明しましょう。最後に、基礎研究にとっては「多様性」が本質的でることを指摘したいと思います。アインシュタインのような少数の天才だけが基礎研究を発展させてきたわけではありません。実際には、時代背景や環境などに後押しされて、さまざまな独創的な研究が生まれてきたのです。従って、誰かひとりの天才を見つけだし、その人に全て投資すればうまくいく、ということではないのです。この意味では、「選択と集中」という発想は、そもそも基礎研究とは相容れない概念なのです。

 

ディラック方程式の波及効果

「波及効果」という点で、ひとつ実例をあげましょう。ディラックという20 世紀を生きた物理学者がいます。彼はアインシュタインの特殊相対性理論と、ミクロな世界の物理学を支配する量子力学を統合し、「相対論的量子力学」を打ち立てました。1928 年、彼はひとつの方程式(ディラック方程式)を数学的な美しさから書き下したのですが、じつは、この方程式を解いてみると、その解のなかに「反物質」の存在が予言されていたのです。それまでは物質しか知られていなかったのに、反物質もある、ということがそこには示されていたのです。ディラックの予言からたった4年後に、「電子」という物質以外に「陽電子」という反物質が、27 年後に、「陽子」という物質以外に「反陽子」という反物質が発見されて、それぞれノーベル物理学賞が授与されています。近年では、反物質同士、つまり反陽子と陽電子を結合させて「反水素原子」をつくり、それを長時間保管することも可能になりました。

一方で、ディラックの方程式は思いも寄らない応用にもつながりました。2007年の「トポロジカル絶縁体」という物質の発見です。これは、内部は電気を流さない絶縁体なのですが、表面だけは電気を流す金属として振る舞うという、非常に不思議な物質です。この発見は、これまでの「エレクトロニクス」という概念を一歩進めた「スピントロニクス」や、最近話題の「量子コンピュータ」など、現代的な応用にもつながっています。

このように、基礎研究における基本的な発見というのは、常に基礎・応用の両方への波及効果が大きいものなのです。

 

ヒッグス論文の引用回数

さて、長期的視点が重要である、という点についても具体例をあげましょう。1964 年、ヒッグスという物理学者が「ヒッグス機構」という理論をつくり、「ヒッグス粒子」の存在を予言しました。ヒッグスの論文が毎年どれくらい引用されたのか調べますと、当初はだれも気にも留めなかったということがわかります。

ヒッグスの考え方のルーツには、1911年に発見された金属の超伝導現象というものがあります。カマリン・オンネスという人が水銀を極低温まで冷却することで実験的に発見した現象ですが、それが目に見えない素粒子の重さの起源に関係しているというのが、「ヒッグス機構」のアイデアでした。こうして 1964 年、先ほどのヒッグスの論文が発表され、それからおよそ 50 年後の 2012 年に、ヒッグス粒子が欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の実験でようやく観測されます。そのことが 2013 年のノーベル賞につながるわけです。

では、このヒッグスの理論は将来どんな応用を生むでしょうか。ヒッグス粒子を制御してモノの重さが自由にコントロールできるようになったらうれしいのですが、それができるとしたらきっとずっと先のことでしょう。千年先か1万年先かもわかりません。しかし、基礎科学の根本を築くというのは、そもそもそういう営みなのです。

 

「役に立たない」知識の有用性

私は、「役に立つ/立たない」という論争よりも、まず科学の考え方の本質を多くの人に知ってもらいたいと考えてきました。そのとき、たまたまプリンストン高等研究所の創設者、エイブラハム・フレクスナーが書いたエッセイの存在を知りました。プリンストン高等研究所というのは、アインシュタインも所属していた基礎科学の研究所です。設立は 1930 年、英語では Institute for advanced study、通称IASと呼ばれています。創設者のフレクスナーは、1939年に The Usefulness of Useless Knowledge(役に立たない知識の有用性)と題したエッセイを書いており、そこでまさしく、「有用性」とは何か、「役に立つ」とはどういうことかについて、非常にはっきりした言葉で議論を展開しています。

そして、フレクスナーが展開した議論は、現在でも有用だろうと考えた数理物理学者のロベルト・ダイクラーフ(2012年から10年間IASの所長を務めた)が、自分のエッセイをそこに付け加えて、2017 年に英語の本を出版しました。それを私たちが邦訳したのが、『「役に立たない」科学が役に立つ』(東京大学出版会)です。原書と違って、カバーには「ノアの箱舟」のイラストを使用しました。これは「多様性が大事なんだよ」「未来への投資が大事なんだよ」ということを暗に示したかったからです。

 

「有用性という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ」

IASの創設者であるフレクスナーは、20 世紀初頭のアメリカにおいて、医学教育を根本的に変革した人です。彼はこんな言葉を残しています。エッセイから引用しましょう。

「私は、研究室でおこなわれるすべてのことが、いずれ思いがけない形で実用化されるとか、最終的に実用化されることがその正統性の証だとか、言っているわけではない。そうではなく、「有用性」という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ、と主張しているのだ。」

 

ほかにもフレクスナーはこんなことを言っています。

 

「精神の自由を重んじることは、科学分野であれ、人文学分野であれ、独創性よりはるかに重要である。なぜなら、それは人間どうしのあらゆる相違を受け入れることを意味するからだ。」

 

プリンストン高等研究所には、初期のメンバーとしてアインシュタイン、ヘルマン・ワイル、フォン・ノイマン、チューリング(当時は大学院生)など、後世に名を残す著名な研究者たちが集いました。また現在でも世界最先端の研究が行われています。

 

「役に立つ」と「役に立たない」のあいだに境界はない

フレクスナーの時代から何十年も経た現代では、変わってきたこともあります。それは基礎研究と応用研究の境界がどんどん曖昧になってきた領域があることです。データ科学、人工知能、量子コンピュータなどはその典型例でしょう。また、基礎研究の意義を伝えるために、研究の面白さだけでなく、研究者の日常などを、科学者自身が社会(特に若い人たち)に伝える必要性がますます高まっています。ダイクラーフは、エッセイの中で以下のように述べています。

 

「「役に立つ」知識と「役に立たない」知識との間に、不明瞭で人為的な境界を無理やり引くのはもうやめよう。」

「基礎科学には支援する価値があることを、一般の人々に納得させるのは難しい。(中略)その目標と価値を伝えるのに最適な立場にあるのは、研究をおこなっている科学者や学者自身だ。」

 

基礎研究を支える仕組み

「基礎研究」の意義については、まず二つのポイントを押さえておくことが必要です。一つは知の探究、もう一つは未来への投資です。科学史家の隠岐さや香さんの著書(『科学アカデミーと「有用な科学」――フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ-』(名古屋大学出版会)に詳述されていますが、両者の比重についての議論は、すでに17世紀から連綿とヨーロッパで行われてきたようです。

さて、21世紀前半になった現在はどうでしょうか? 日本では、科学技術、社会福祉、安全保障などに必要な資金を、限られた国家予算の範囲でどのように分配すべきかという、いわゆるパイの奪い合い状態が起こっています。そのような背景のもとで間違った「選択と集中」を進めたことで、日本では基礎科学の本質である「多様性」や「自由な発想」が危機に直面しています。

21世紀後半に向けて、基礎研究を支える財政基盤をこれまでと違う形で整えていく必要があると思います。学術系クラウドファンディング(例えば、academist  https://academist-cf.com/beginners/academist?lang=jaのような活動)は、市民とアカデミアがともに進化する(共進化)の一つと言えます。企業とアカデミアがどのように「共進化」できるか(例えば、(株)理研数理 https://www.riken-suuri.jp/のような活動)を考えることも大切でしょう。これらに限らず、さまざまな可能性を模索する必要がありますので、是非北野高校出身の皆様のお知恵を拝借できれば大変ありがたく思います。

 

質疑応答(講演の前半のブレークで)

質問者 家正則さん 80期

Q:核力が近距離で反発力になることは、なぜスパコンを使わないとわからないのですか? スパコンに入れる式から解析的に分かるのでは?
A:多数の自由度を持つグルオンとの多体相互作用の計算が必要ですが、その変数が多すぎて解析的に導くことができないのです。

Q:中性子星の問題を解くには、これまでのスパコンでなく量子コンピュータが必要なのはなぜですか?
A:中性子星などは無数の核子の相互作用の理解が必要で古典的なスパコンでは無理ですが、何桁も上の計算ができる可能性がある量子コンピュータに期待がかかっています。

 

質疑応答(講演終了後)

質問者 小泉透明さん 89期

Q:理論物理へ邁進したモチベーション、啓蒙活動のモチベーションはどこからきたのでしょう?

A:子供の頃から湯川秀樹に憧れ、「旅人」という自伝で「不思議について考え続ける」という姿勢に啓発された。啓蒙については科学が面白いということを若い人達に知ってもらいたい。孫正義育英財団には非凡な才能のある子どもを支援するプログラムがあり、その子たちに科学に接する機会を与えたい。また、日本では女性が理数系に進むのを社会的に後押しできていない状況が未だにある、これをなんとか少しでも変えて行きたい。

 

質問者 釜江常好さん 70期

Q:東大物理の同じ分野で観測的に研究してき、初田さんの幅広い活動に敬意を表しています。質問ではないのですが、日米の大学の大きな違いの一つとして、母校への卒業生の寄付の姿勢があると想います。日本でも大学への寄付活動がもっと広まると、それなりに科学を復活させることができるのではないかと想うのですが。

A:そうですね。その一方で、日米の教員の給料の差が大きすぎるのも問題です。自分もあと40年研究を続けたいが、年金でできるかどうか考えてしまいます。理論研究なのでできるとは想いますが、研究者が広く寄付もできるような状況になるよう処遇を改善することも必要と思います。

 

質問者 広本治さん 88期

Q:対称性と保存則でもっとも気になるのは何でしょう?
A:宇宙が一様等方なのはなぜなのか? 光速の普遍性と時間の非対称性はなぜあるのか? 対称性に関しては根源的で不思議なことが多いです。

Q:超対称性とは?
A:数学では論理的に矛盾の無い可能性を列挙することが大事です。でも物理学ではそれらの可能性が現実にあるのかどうかを実証することが大事。妻はまさに超対称性の数理を専門としているので、「超対称性ほど美しいものが現実に実現していないはずはないでしょう」というのですが、私のような実証物理屋としては実験で確認されるまでは宗旨替えはできないので、家庭内の論争は続くと想います。

 

講演要旨は講演者の自筆による。

記録:家正則(80期)

Ⅷ.資料 Kitano_Hatsuda_12.28.2023