Ⅰ.日時 | 2023年9月2日(土)14時~15時30分 |
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Ⅱ.場所 | Zoomによるインターネット中継 |
Ⅲ.出席者数 | 39名 |
Ⅳ.講師 | 小林 竑一さん@76期 (アーバンデザイナー、ランドスケープアーキテクト)
1945年 疎開地の鳥取県生まれ、その後大阪へ 1964年 大阪府立北野高校卒業 1968年 京都大学農学部卒業 1969年 カナダのバンクーバーへ技術移民 1972年 アメリカ、カリフォルニア大学バークレー校大学院卒業後、アメリカの大学で教鞭と取る 1978年 シアトルで計画・設計事務所開設。アメリカ、中国、中東、インドなどで大規模開発プロジェクトのマスタープラニング、プロジェクトプラグラミングを手掛ける現在 アメリカワシントン州シアトル在住、日本庭園の設計、開発プロジェクトを手掛ける アーバンデザイナー、ランドスケープアーキテクトとして、米国ワシントン州シアトルに拠点を置き50年以上実務に就いてきました。 現在はシアトルを拠点とする「小林デザイン」の代表として主に市民団体を支援するボランティアをしています。 1945年に母の疎開先の鳥取で生まれ、その後大阪に家族とともに戻りました。北野高校で3年間を過ごし、1964年に京都大学に進みました。京都大学では日本庭園と日本の最新の造園について5年間学び、日本庭園、歴史、文化への関心を広げました。 1969年にカナダのバンクーバーに技術移民として赴き、カリフォルニア大学バークレー校大学院で修士号を取得し、アメリカ各地の大学で教鞭をとりました。また、中国の蘇州、上海、深圳で5年余り計画と設計のディレクターをし、中東諸国およびインド周辺の大規模開発プロジェクトのマスタープラニング、ブラン二ング、プロジェクトプログラミングを手がけました。 2004年には、ワシントン大学に所属していたことで国際日本庭園協会と東京日本庭園協会と協力して、シアトルで第4回国際日本庭園シンポジウムを主催する機会を得ました。 |
Ⅴ.演題 | 「西芳寺庭園の枯山水に魅せられて、世界へ」 |
Ⅵ.事前宣伝 | 1. 北野での日々を思い出しながら、人生と仕事を紹介2. 現在情熱を傾けていること:東広島市の「仙石庭園」 ロシアのシベリアに造園予定の日本庭園と、館山市と姉妹都市の関係にあるワシントン州の都市ベリングハム(の中央図書館)に造られる日本庭園3. 日本庭園とは4. 1942年に開設されたカリフォルニア州にあった日系人のマンザナー(強制)収容所の中の日本庭園マンザナーの日本庭園 |
Ⅶ.講演概要 |
1. 自己紹介京大農学部林学部造園教室卒業で、造園家です。これは比較的マイナーな分野で、この東京六稜倶楽部でも講演したのは、杉尾伸太郎さん(記録者注:72回、2008年)が最初で、私が2人目となります。この京大時代に西芳寺庭園枯山水に魅せられこの造園の分野に入り、そして世界に出て行きました。 2.「仙石庭園」の紹介の紹介本題に入る前にということで、東広島市の「仙石庭園」の紹介がありました。これまで地元の医師、山名征三という方が私財を投げうって、土地を手配、そしてバブル期崩壊で使われることが無くなった日本全国からの名石を買って、自ら設計、庭園づくりに励んでこられた。これらの巨大な石を配して今まで見たことも無かった「石が中心の日本庭園造り」がコンセプトです。 この東広島市は、豊かな自然がある、交通の便が良い、都市機能を近くに持つ、そして歴史的な背景があるということで、第3期までの将来計画を提案しています。「高屋の郷」として、山の厳島離宮と位置付け、広島の名庭園に仕立て上げたい。そして時間はかかるが世界遺産登録に持っていくという夢を山名さんと語っています。
3.Traditional (伝統的)そしてRevolutionary(革新的)日本庭園にはTraditional (伝統的)そしてRevolutionary(革新的)なものに分けることができます。伝統的なものとしては、西芳寺、龍安寺に代表される古くからの歴史的な名庭園。革新的なものとしては、重森Mirei、ノグチ・イサム氏等が作った現代的なものです。ノグチ・イサムのものはパリ・ユネスコの庭園、ニューヨークのチェースマンハッタン銀行の庭園、北海道の大沼公園などがあります。もっとも「ノグチ・イサムの庭は日本庭園ではない。彫刻である。」という批判もあります。 4.「北野と梅田」「北野と梅田」と題して、梅田スカイシティーについての話がありました。場所は、梅田駅北側の元JRの貨物操車場跡地です。これについては、小林氏の京大の先輩である吉村元男氏と共著で「日本庭園と環境創造都市」という題の本を出版しており、「都市に野生を」というタイトルで、この環境大汚染時代に自然園を作ろうというチャレンジです。しかし、セキスイが雇った建築家による「絶望の壁」(本人は「希望の壁と呼んでいる。」が作られ、また当初の思想とは異なる増築計画が進んで、当初の目論見が崩れ、プロジェクト危機に瀕しています。大阪の誇る梅田スカイシティーの持つ魅力を理解して、本来の思想が実現されるよう皆様協力ください。 5.小林氏の自己紹介と作品紹介小林氏は、大阪の十三地域で育ち、23歳まで過ごしました。新北野中学時代からバレーボールに親しみ、高校でもバレーボール部に所属、70歳まで続けました。カナダに移住してトロントで結婚、その後アメリカ、カリフォルニア大学バークレー校で修士の取得後、まずオハイオに赴任しました。その後の、作品は以下の通りです。 ・Belconnen Government Office, Australia,1969 ・Big Basin State Park、California, 1971 ・Water Course Plan, Franklin County, Ohio, 1975 ・South Yarrow Bay, Kirkland, Washington, 1978 ・City of Bellevue Streetscape, 1979, 市役所に勤務 ・Baghdad Beautification Project, Iraq, 1981 ・nterstate Ninety, Seattle, Washington, 1984 オープンカットによる自然破壊を防ぎ、半分はトンネル、半分はカバーして盛土して緑の保全を図った。 ・ワシントン村、兵庫県三田市:神戸市とシアトルは姉妹都市の関係にあり、木造の2x4住宅を配したアメリカ風の住宅計画、1988 その他多くの住宅、地域計画プロジェクトを計画したが、バブルの崩壊もあって、実現に至らなかった ・Bodine Residence, Garden Design, Whidby Island, Washington, 2002 ・Rainier Valley Corridor, Landscape Development, 2004 ・Lin Yi Community, Landscape Design, ShanDong, China, 2005 ・Lesail Community, Master Plan, Doha, Qatar, 2006
6.日本庭園とは日本庭園は周囲の自然の美しさを強調し、調和のとれた平和な環境を作り出すように設計されています。小林氏は、以下の通り日本庭園の本髄を定義しています。
日本庭園は、命ある空間の芸術。 長い歴史を紡ぎ、様々な様式を生み出す。 その底流に流れるのは、美意識の源。 自然観に基づく、石の選び方や組み方。 石は、庭の骨組みとなり、物語を語りかける。 動的均衡によって配置され、静止空間と継起性空間が調和を奏でる。
抽象化や単純化、象徴化などの伝統的手法によって、情景が織り成される。 この庭は、心を癒し、感動を呼び覚ます。 そこに立ち尽くせば、時間が流れるのを忘れる。 日本庭園は、言葉に尽くしがたい、美の極致。
7.ロシア、ハバロフスク、望郷の苑第2次世界大戦後、60万人の日本人がシベリアに抑留され強制収容所に送られ、厳しい環境、労働そして食料不足のせいで5万人の方が異国の地で命を落とされました。方ハバロフスクのコルホフスキー村でも多くの日本人が亡くなり、遺族の有志で記念碑が建てられました。村でも修繕の費用を出すことを決定し、日本から寄付を募って鎮魂の為の日本庭園、「望郷の苑」を建設することとなりました。 しかし、第一期工事以降はコロナ禍による影響によって向き延期となってしまいました。 現在は、その心を日本かアメリカで継続しようと思っています。
8.アメリカマンザナー日本人強制収容所での日本庭園マンザナー強制収容所の日本庭園は、第2次世界大戦中に強制収容された日本人が、強制労働の合間を縫って作り上げた日本庭園です。小林氏より提供された、資料を貼り付けて講演録とします。詳細は、資料のビデオをご覧ください。
コスモス国際賞への推薦 Summary of Reason for Recommendation バートンの カリフォルニア州マンザナー日系人強制収容所における考古学的な発掘による日本庭園群の画期的な発見、そして今に続く復元と著作活動は、人類の自然への理解と自然との共生の知恵を人々に与えていると信じます。 Detailed Reason for Recommendation 日本庭園はその長い歴史を通じて、人類の抵抗力、回復力と平和への願いを示し、自然と象徴への親近性の表れ、また希望となってきました。数世紀にさかのぼる長い歴史の中で、これらの庭園は人類の自然への理解と自然との共生の知恵を深めてきました。 カリフォルニア州マンザナー周辺には100を超える日本庭園の遺構があり、現在までに 25以上が発掘され、今も復元されています。16万人以上の日本人と日系アメリカ人が、北アメリカ大陸の最も厳しい、そして人を受け付けない地域にあるマンザナーをはじめとする多くの強制収容所に収容されていました。日系人たちは、そこで日本庭園 作り続けたのです。 ジェフリー・バートンは、国立公園の考古学資源管理者そして、研究者として過去 30 年間、これらの現地を調査し、プログラムの設立、研究、運営と市民、地域教育を担当,先導してきました。彼は今でも、人間と自然との関係を発掘し、復元し、調査し、コミュニティ考古学の重要性を探っています。かれは、長年にわたり、その成果を京都でおこなわれた国際考古学会など、日米の場で発表を行ってきており、数々の受賞もしています。 最近では、彼の活動や研究を含む一般報道も “砂漠の日本庭園”という表題で、NHKのドキュメンタリーとして放映されており、彼の業績は日本を始めとする海外でも認識され、 多くの人々に感動と勇気を与え続けています。 「自然と人類の調和のとれた共生」を念頭に置いたコスモス賞は、人間が自然と建設的に生きることを学ぶ方法を示唆する空間創造として、日本の庭園の真のグローバルな地位を示しています。
質疑応答質問者 石垣俱子さん 69期
Q: 本日の題は西芳寺に魅せられてということで、西芳寺についてもう少し話があるかと私は思ったのですが、そうではなかったですね。 質問者 伊藤洋子さん 73期
Q: 今回紹介の庭園は、静かな、そして人気のない自然なままの庭が多かった。庭、講演というと、私は人がもっと居て、笑い声があって、人間的なものと思うのですが、この点どう考えますか。 質問者 多賀正義さん 76期
Q: 仙石庭園ですが、現在オープンしていますか。将来計画を実施するとなると、相当な資金がいると思うのですが、入場料では賄えないでしょう、寄付などはあるのですか。 質問者 今村洋子さん 94期
Q: 造園家は、日本庭園のデザインで見る人の視線を意識して設計するのですか。いろいろな角度から見てあらたな発見をするものですから... 質問者 大野一郎さん 76期
Q: 日本庭園、美意識の話参考になりました。何故日本庭園は造られてきたのでしょう。 記録:多賀正義(76期)
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Ⅷ.資料 | 1-Kitano-RikuRyo-Sept 02, 2023:講演で使用したPPTをPDF化したもの2.Compiled for Kitano Reunion.mp4:MP4 includes three parts:
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