【245回】5月「七転八倒の本づくり 編集という仕事」

Ⅰ.日時 2023年5月17日(水)11時30分~13時00分
Ⅱ.場所 銀座ライオン7丁目店 クラシックホール(Zoomによるインターネット中継)
Ⅲ.出席者数 40名(会場30名、Zoom 10名)
Ⅳ.講師 塩田春香さん (岩波ジュニア新書編集部所属)

岩波書店ジュニア新書編集部所属。
児童書出版社のアシスタント、自然科学系の編集プロダクションなどを経て、岩波書店入社。自然科学書編集部、営業部を経て現職。
書評サイトHONZ(https://honz.jp/author/h_shiota)レビュアー。特に興味のある分野は、自然や生き物です。
Ⅴ.演題 七転八倒の本づくり 編集という仕事
Ⅵ.事前宣伝 著者でもない、デザイナーでも、校正者でもない。「編集者」はどんな仕事をしているか、ご存知ですか? 岩波ジュニア新書や岩波科学ライブラリーなど、これまで手掛けてきた本を例に、編集の仕事内容や印象に残っているエピソード、出版をとりまく環境の変化などを、気軽な雰囲気でお話ししたいと思っています。「校了日に著者と連絡がとれなくなった深刻な理由」「岩波書店初の袋とじ」「巨大な桶の上で新刊本をPR」といったエピソードをご紹介する予定です。
Ⅶ.講演概要 紹介者は家正則さん(80期)。「塩田さんは私が岩波ジュニア新書から本を出した時にお世話になった編集者さんです。岩波書店は昔から名の通った出版社ですが、実は意外と小さい会社のようです。ですから130名余りの社員さんは選りすぐりのエリート集団で、彼女も大変な実力を持った方です。本をPRするのも編集者さんの仕事なのですが、彼女がSNSで発信されている情報は格別に面白いです。そんな彼女なら本の編集に纏わる興味深い素敵なお話をしていただけるだろうと考えて、本日のご登壇をお願いしました。」

(講演は塩田さんが担当された本の紹介を交えながら行われた。本の紹介については書名のリンク先を参照されたい。)

 

1.自己紹介

・岩波書店には真面目で固いイメージがある。広辞苑、岩波文庫、岩波新書、専門書など。
・ところが私は中途採用枠で入社したので、他社での仕事経験が長く、伝統的な岩波の固い本とは毛色の違う本を出してきた。同僚からは「岩波書店の珍獣」と呼ばれている。
・文学部の出身だが、自然や生き物を扱う自然科学の分野が好き。
・私が社会に出たのは就職氷河期といわれる頃で、採用自体がなかったり、採用されてもいきなり解雇されたりと、5社ほど転々とした。編集プロダクションで出版社の下請けとして自然科学関連の図鑑などの編集の仕事をしていた時、自然科学書の出版経験者として岩波書店に採用され現在に至る。
・自然科学書編集部(5年)→営業部(5年)→岩波ジュニア新書編集部(7年目)
・岩波ジュニア新書は岩波新書の妹分。1979年創刊。10代向けの入門新書として広く知られているが、大人が学び直すのに丁度良いとされ、“岩波シニア新書”とも陰で呼ばれているらしい?
・これまでジュニア新書だけでなく、岩波科学ライブラリーなども手がけてきた。
・岩波新書は「現代人の現代的教養」に資することを目的に、1938年に創刊された日本初の新書。岩波科学ライブラリーは1993年創刊の科学読み物シリーズ。

 

2.編集の仕事

本の制作には著者・校正者・デザイナー・カメラマン・イラストレーターなど多くの人が関わっている。編集者は制作に関わる様々な役割の人をまとめ、仕事を手配し、全体の進行を管理しながら本を作り上げて世に送り出す。しかし同じ編集の仕事でも、所属する会社や本の種類や本の規模により仕事の内容や進め方はずいぶん違う。ここでは一人の編集者が担当する、比較的小さい規模の本づくりについてお話しする。

1)企画を考える

著者にどんなテーマの本をどんな人に向けて書いていただくか? 著者探しも企画のうち。

実例1 クマムシ?! 小さな怪物

・きっかけは前の会社の同僚との何気ない会話「クマムシって死なないらしいよ」
・この都市伝説のような話を学術的に明らかにしたら面白いと考えて企画した。

実例2 新種発見物語  足元から深海まで11人の研究者が行く!

・最初は9人の共同著書となる予定だった。その著者候補は全員男性研究者だった。もし自然科学方面の進路を考えている女生徒がこの本を読んだとき、この分野の主要研究者には男性しかいないと受け取って、その生徒が進路をあきらめてしまったら残念だと思った。そこで面白い研究をしている女性の研究者にも加わってもらい、11名の共同著書となるよう企画した。

 

2)企画を通す

企画書を作り編集会議で議論する。企画が通るかどうかの判断材料の一つは、ちゃんと採算がとれるかどうか。新書は専門知識がなくても読みやすいように作って、たくさんの人に買っていただいて採算をとる。(薄利多売)

 

なかなか企画が通らなかった本の例1 クマムシ?! 小さな怪物

・私が入社して最初にこの企画を出した時、「岩波の数学物理本は売れるが、生物本は売れない」というのが社内的な常識だった。「クマムシ、なにそれ?」
・企画が通ったのは、たまたま編集部を訪れた著名な科学者の先生がクマムシに好意的だったため。
・この本は、発売前に重版が決定するほどの大ヒットとなった。
・この成功のおかげで、以降に企画を出した生物系の本の企画が通りやすくなった。

 

なかなか企画が通らなかった本の例2 昆虫の交尾は、味わい深い…。

・昆虫の交尾を調べると、昆虫の分類体系や進化がわかる。この学術的にも重要な研究の面白さを、10代の若い人たちに知ってもらいたくて企画したが、ジュニア新書では企画が通らなかった。
・結局、大人を対象とした岩波科学ライブラリーからなら出せるということになり企画を作り直して出版した。

 

売れるかどうかは、書名も大事なポイント。企画の段階で、売れそうな書名を考える。

カイメン すてきなスカスカ は、なかなか書名が決まらず苦労した。
私が企画する書名は、新聞の岩波の紙面広告欄では明らかに浮くことが多い。「書名テロ」と言われたことも。
私は、たとえそれがどんなに周囲から浮いていても、書名には、インパクトと内容への誠実さが求められると思う。

 

3)執筆のサポート

・著者が研究者の場合、著者が書きたいことと、一般読者が読みたいことの間には隔たりがあることも多い。そんなとき編集者は研究者と一般読者の架け橋となり、論文的ではない、専門知識がなくても理解できるような文章を書いていただけるように著者をサポートする。ただし、ウケ狙いで研究結果を面白おかしく盛るような書き方はお願いしない。研究者ご自身がその時どう感じたか、研究の臨場感、新しい発見がどれほど嬉しかったか、研究する者の楽しさや面白さを書いていただくようにお手伝いしている。
・校正・校閲者の仕事:不適切な書き方はないか、間違いがないか、事実関係の確認を行う。表記統一や読みやすさの提案を行う。(うまい校正者ほど読みにくさがなくなる=校正者の存在が消える)
・編集者の仕事:本の方向性に助言する。面白くなるのにはどうすればよいか? イラストの手配や著作権処理などの事務手続きも行う。
・著者の執筆期間は半年から一年が一般的だが、私が経験した中での最長記録は20年で、その本が家正則先生(80期)のハッブル – 宇宙を広げた男。伝記本だが伝記作家では書けない内容の本。ハッブルの後継研究をされてきた家先生が高度な科学の話を一般向けにわかりやすくかつ正確に解説されている。引用されている資料(ハンチントン図書館のハッブルの直筆の手紙や観測資料)も、家先生だからこそアクセスできたもの。

コメント:塩田「書き上げるのに20年もかけたご感想はいかがですか?」

家「当初は、すぐに書けると思って快諾したのですが、ハワイの望遠鏡建設が始まり15年以上中断しました。後にカリフォルニアでハッブルの手紙や資料の原本を見る機会を得て、執筆完了することができました 」

東京六稜倶楽部 | 【229回】「最新の宇宙像」

 

4)図版の手配や指定

本に掲載するイラストの発注。プロのイラストレーター向けに、著者と相談しながらベースとなるラフ画などを用意する。制作費を抑えるため、簡単な写真なら自分で用意することもある。普段から意識して写真を撮り溜めている。

 

5)入稿(デザイン指定も)

制作者(印刷と製本)と相談をしながら、印刷する原稿にレイアウトの指定を入れる。工夫をこらし新しいアイデアを出すこともある。

ゲッチョ先生と行く 沖縄自然探検:昼の観察場面は白地に黒文字、夜の観察場面は黒地に白文字で表現した。
フジツボ 魅惑の足まねき:フジツボの変態パラパラ漫画を添付した。社外的にはフジツボの一生がわかりやすいと好評だった。
昆虫の交尾は、味わい深い…。:巻末に袋とじを添付した。それまでの岩波には前例がなく、社内で反対する意見も多かった。出版直後、たまたま著者がイグノーベル賞を受賞されたこともあり、すぐに重版となった。
・片面カラーの工夫:制作費を抑えるため、片面だけカラー印刷にしても違和感がないよう、印刷配置を考える。
・イラストのディテールに工夫:読者が楽しく読めるようイラストに小さな遊びをいれることもある。たとえば、章タイトルの飾りにつけた虫のイラストが、章が進むごとに位置が変わる、とか。海綿の本の「コーヒーブレイク」というコーナーのイラストでは、よく見ると海綿にコーヒーが染みこんでいる、など。
・ふり仮名の工夫:大人向けの本であっても、巻末の観察コーナーには子供向けにふり仮名をつけている。子供がこの本を使って自分自身で観察をできるよう願いをこめている。

 

6)ゲラの確認

・ゲラとは印刷所から上がってくる製本していない本の原稿のこと。
・ゲラで再び著者とやりとりして細かな修正をかけていく。校正者による確認も行う。
・目次や索引、帯のコピーも編集者が作る。
・ゲラでの確認が終わったら校了となる。校了された原稿が印刷所・製本所へと回される。
・校了で一番苦労したのがマンボウのひみつ 。校了直前に著者と連絡がとれなくなった。著者は若手研究者で、仕事でマグロ調査船に乗って遠洋に出かけてしまっていた。しめきりが迫っているのに、あらゆる手段で連絡を試みてもつながらず、本当に困った。この時は奇跡的にツイッターがつながって無事校了となった。

 

7)カバーデザイン

ジュニア新書の場合、社内で決められたフォーマット(タイトル位置・字体など)以外のイラストや写真などのデザインを考える。著者の確認をとりながらイラストレーターさんと作っていくことも。カバーデザインは本の売り上げにも影響するので、こだわって作っている。

 

8)宣伝と広告

・できあがった本は宣伝のために新聞社やインフルエンサーなどに献本するが、その本に添える手紙を書く。
・本を売るためのイベントを企画したり、参加したりする。
・最近経験したピンチ:巨大おけを絶やすな! 日本の食文化を未来へつなぐ のPR活動で、出席できなくなった著者の代わりに担当編集者の私が行くことになった。現地へ行ってみると、いきなり巨大な桶の上の高いところに座って本のPRをするハメに。怖い思いを我慢しながら一所懸命PRをした。このPR活動のときの写真は、朝日新聞デジタル版の記事に大きく掲載された。

 

3.出版をとりまく環境の変化

・昔と比べて本が売れない時代になった。
・売れない原因は様々。書店のない町が増えている現実。若い世代が本の買い方すら知らないこともある。
・昔も今も変わらないのは、本には人の一生を変えるほどの力があるということ。最近、ある司書さんから、初田哲男さん(89期)の数理の窓から世界を読みとく が、若い読者の進路を決めるきっかけとなったと知らされた。
・若い人たちのためには、彼らに本を手渡してあげる身近な大人が本当に必要。
・本日お越しの皆様も、是非、本を届ける応援団になっていただきたい。

 

4.さいごに

「きみたち若い世代は人生の出発点に立っています。……ですから、たとえば現在の学校で生じているささいな『学力』の差、あるいは家庭環境などによる条件の違いにとらわれて、自分の将来を見限ったりはしないでほしいと思います。個々人の能力とか才能は、いつどこで開花するか計り知れないものがあります……簡単に可能性を放棄したり、容易に「現実」と妥協したりすることのないようにと願っています。」(岩波ジュニア新書 マニュフェストからの抜粋文)

1979年の創刊当時は教育格差が大きな社会問題だったが、現在でも諸事情による教育格差が再び問題視されている。創刊当時からジュニア新書の最終ページに掲げられているこのマニュフェストには、当時の編集部の熱い思いが込められている。創刊40年以上を経た今も編集部の気持ちは変わらない。

 

質疑応答

広本 治さん 88期

Q:編集者としての立場で図書館とはどういう存在ですか?

A:日本中の書店が減っている今は、図書館がなければ人が本を手に取る機会さえなくなってしまいます。しかし、すべての人が図書館だけを利用して本を買わなくなってしまうと、著者の方や出版社にお金が入らなくなってしまいます。

編集者としては図書館で読んだ後でも、書店で買って自分の手元に置いておきたいと思ってもらえるような魅力のある本を作るのが理想です。

岩波書店の場合は、専門書を多く出版しているので、それを全国の図書館さんに買い支えていただいているという面もあります。流行の本と専門書をバランス良くそろえる図書館さんが増えてくれれば良いと思います。

 

池田 学さん80期

Q:本を作るといえば、昔は印刷所で手書きの原稿から活字を拾って印刷にかけるというイメージがありますが、現代ではそのような作業はないのですか?

A:ほとんどの著者さんは、ワープロソフトで原稿を書かれます。ほんの一部の著者さんが手書きの原稿を提出される場合も稀にはあります。それをデジタルデータ化して編集作業をしていきます。印刷所もデジタルデータで作業しますので、印刷所が活字を拾うことはなくなりました。

Q:電子出版の現状について教えてください。

A:電子書籍を出すかどうかは出版社によりますが、岩波ジュニア新書や岩波科学ライブラリーでは著者さんの了解を得られた本のみを電子化しています。ジュニア新書の場合、いまのところ電子書籍は、紙の本を出版してから3ヶ月ほど後に出版します。同時に出版しないのは、電子化するのに作業が間に合わないこともありますが、紙の本を出版した後に、専門家を含む読者さんから何かしらの誤植等の指摘が寄せられることもあるからです。重版するときに修正できる紙の本とは異なり、電子書籍は一度出してしまうと基本的には直せません。電子書籍の出版時にも、内容を慎重に調べ直して、必要なら修正をかける時間が必要なのです。

また、昔の名著で需要が多いものは電子化する場合もありますし、重版するときに紙の本ではどうしても採算がとれなくなった時に電子化して、電子書籍として残す場合があります。

 

家 正則さん 80期

Q:今、話題の生成AI(chatGPT)が、これからの本の企画・編集にどのような影響を与えると思われますか?

A:chatGPTが将来どうなってゆくのかはわかりませんが、現時点で私の思うことをお話しします。

もしAIがクマムシの本を作るなら、クマムシの過去の都市伝説をまとめただけの本になるでしょう。新しい視点から出版した日本初のクマムシの本は、AIには決して作れないと思います。同様に、私が携わってきた岩波ジュニア新書のような本(論文には書かれることがない、研究の裏側のエピソードや研究者の喜怒哀楽や研究の面白さを書いた本)も、AIには作れないでしょう。

AIは過去の蓄積データから類推した答えを、人間にはできないようなスピードで出してくれますが、新しいものを創り出すことはできないといわれています。chatGPTが一般公開されてから、仕事の場で活用する場面が増えているようですが、鳥取県庁ではchatGPTの使用を禁止しています。その理由は、政治は未来を考えるものだからなのだそうで、私はこの考え方に共感します。

新しい視点からこれまでにないような本を創りあげて世に出すことが、企画・編集の面白さであり、編集者の大切な役割だと思います。

 

橋本 操さん 73期

Q:桶と樽の違いはなんですか?

A:蓋があるのが樽で、蓋がないのが桶です。

 

その他の、企画と編集を両方担当したおすすめの本

めんそーれ!化学 おばあと学んだ理科授業

こころと身体の心理学

 

講演録作成:野田美佳(94期)

Ⅷ.資料 講師プレゼンテーション資料データ(七転八倒の本づくり(抜粋).pdf)(10MB)