Ⅰ.日時 | 2023年4月19日(水)11時00分~13時00分 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Ⅱ.場所 | 銀座ライオン7丁目店6F銀座クラシックホール+Zoomのハイブリッド形式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅲ.出席者数 | 実参加 50名 + Zoom 12名 合計62名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅳ.講師 | 平尾 啓さん@92期 (オペラ歌手)
1980年大阪府立北野高校卒業、92期 1985年慶應義塾大学理工学部応用化学科卒業、1987年同大学大学院理工学研究科修了。 1987年キリンビール株式会社入社、2018年退職。慶應義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団で畑中良輔の指導を受ける。 日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第39期修了。 2020年日本オペラ振興会オペラ歌手育成部新人育成オペラアンサンブル公演「愛の妙薬」ネモリーノに出演。 2021年日本オペラ協会&藤原歌劇団公演「魅惑の美女はデスゴッデス!」書生、執事・やくざの兄貴分に出演。 畑中良輔、柏川翠、吉村友岐、ジュゼッペ コスタンツォ、岡坂弘毅、渡辺康の各氏に師事。 東京六稜倶楽部 | 【オンライン特別講演】6月「オペラ歌手 ~自分の可能性を信じて~」 -六稜WEB (rikuryo.or.jp) 六稜トークリレー第208回(2022年12月3日平尾啓 テノールコンサート 「オペラ歌手 ~自分の可能性を信じて~」 https://www.youtube.com/watch?v=avMd6466NCs |
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Ⅴ.演題 | 「平尾啓 テノールコンサート」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅵ.事前宣伝 | 私は高校に入っても人見知りが激しく、高校生活も今となってはあまり思い出せないほどの学生でした。そんな私が、2年生途中から入部した北野高校コーラス部の皆さんのキラキラと楽しく歌う姿に触れ、歌う楽しさを知り、慶應義塾大学で木下保、畑中良輔、諸先輩方にひたすら憧れ、そして自ら上達するワクワク感、達成感などを味わい、歌うことは私の生活の一部になりました。一方、慶應義塾大学院を修了、キリンビール株式会社に就職し、その後30年間会社員として普通に過ごしました。そんな私が一大決心、会社を退職しプロオペラ歌手を目指し、イタリアに短期留学し、「日本オペラ振興会オペラ歌手育成部」を受験、2年間オペラ歌手の勉強をし、昨年10月に藤原歌劇団正団員、日本オペラ協会正会員に認められました。2020年6月に一度、講演をさせていただきましたが、コロナ禍真っただ中で、Zoom講演となりました。今回はその後の2年半の新人オペラ歌手の奮闘記も加え、リベンジとしてのリアル公演をさせていただきます。そして十数曲をライブで歌わせていただきます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅶ.講演概要 |
私は2020年3月に日本オペラ振興会オペラ歌手育成部を修了し、オペラ歌手になりました。しかしコロナ禍となり、すべてのオペラ歌手活動はキャンセルされてしまいました。その中で、東京六稜倶楽部様からお話を いただき、6月20日にZoomオンライン講演をさせていただきました。せっかく「オペラ歌手」になれたのに、デビューもできず、心が宙に浮いていた私にとって、自分の人生を振り返り、これからを考える良い機会となり、「必ずコロナは収まる。その時に向けてやれることはやっていこう」という気持ちが生まれてきました。同窓会に救われたのです。また、六稜トークリレー様からもリアル開催をご依頼されコロナ禍の状況により三度延期となりましたが、昨年12月3日に開催していただくことができました。多くの92期同期もご参加いただき、その夜、同期会も開催いただきました。40年以上会っていなかった同期とお話しできました。特に、全うできなかった硬式野球部の同期と楽しく思い出話ができたのは人生の穴埋めとなりました。 そして「コロナが収まったらリアルで」とお話しをいただいていました東京六稜倶楽部様でのコンサート、2年半前とは少し成長した私の歌を聴いていただける機会、本当に光栄で楽しみです。講演は私の人生経験を聞いていただきながら進めてまいりたいと思います。
<<中学・高校時代>> 私は人見知りが激しく、一対一のお付き合いが全くできませんでした。そして自主的に何をやりたいというものもなかったようです。ピアノもそれなりにやったようですが、ピアノを弾いている記憶がほとんどないのです。高校に入っても同じで、初めは硬式野球部に入っていましたが続かず、何をするでもなく高校2年の秋まで来ました。そこで私に2つのことがありました(なぜか、とても鮮明に覚えています)。 1.音楽の西川先生に「Caro mio ben」の歌と、クラシックギターをなぜか褒められた。・・・
2.2年3組の同級生からコーラス部入部を勧められた。 コーラス部に入ったら、みんな「キラキラ」していました。そしてコーラス部活動に遊びに来る大学生の先輩たちも「キラキラ」していました。『憧れ』ました。私の心に『憧れ』というものが初めて生まれました。
<<大学時代>> 「慶應義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団」、この合唱団に入りたくて慶應義塾大学を受験しました。入部し、最初の演奏会は先輩たちの演奏を聴きましたが、舞台が本当にキラキラとまぶしかったのを覚えています。次は私もあの中に!!合唱団の全員が私の「憧れ」の的でした。特に畑中良輔先生には本当に「憧れ」ました。高校では「皆で歌うことの楽しみ」、大学では「少しでも高いレベルの音楽をすることの喜び(苦心を前提とした)」と畑中先生に導いていただいたと思います。 就職を考える時期にきて、畑中先生に「私はプロになれますか?」と身の程も知らぬ質問をしました。すると先生はジェスチャーを交えて「平尾よ、これからはルックスだよ。ラジオの時代なら」と。私は反省し、大学院に入りました。
<<キリン時代前半>> 赴任する場所ごとに合唱団に入り、歌っていました。そのような私に、人生観を変えた二つの出来事がありました。 ひとつ目。入社して10年ほどたったころ、私はキリンビールで組合の委員をやっていました。キリンビールはアサヒスーパードライの躍進もあり、たくさんの工場の閉鎖を余儀なくされました。私も組合の役目として、退職される皆さんのご意見を聞かせていただきました。たくさんの意見の中で「私は決して退職したくない。でも退職しなければキリンビールは再生できない。君たちに後を託す」と。私はその時「自分もキリンの役に立たなくなった、自分でなくてもよいと感じたら進んで退職しよう」と思いました。 ふたつ目。入社して15年ほどたったころ、キリンビールにヨーロッパ特許庁の一行が訪問されました。私も接待役をさせていただきましたが、ビールとサンドイッチという軽食でとても申し訳なく思い、歌を歌わせていただくことにしました。 歌っていると、数名の人が泣き出されました。あとで「私たちはイタリア人です。ヨーロッパにいると言ってもイタリア語を話すことはほぼ無く、ましてや日本でイタリアの歌を聴くとは」と。私のようなものでも、このように感動していただけることってあるのだ。歌って良いな!!と。
<<キリン時代後半>> 2011年。この年は本当に公私ともに様々なことがありました。私個人については、大きく2つ。 7月、畑中先生の指揮で「ロマ(ジプシー)の歌」のソロをしました。先生から「平尾はテノールだな。イタリアで勉強させたいな。プロの演奏会があるけれど、そこで歌ってみないか?」とお話をいただきました。「ルックス」を越えて何か先生からこれからの方向性を暗示いただいたように思いました。 12月24日、なんと心筋梗塞に。ICUのベッドの上で「死ぬのかな」「思いの残さない人生だったかな」と思ったら「歌手にやっぱりなりたい」が頭をもたげてきました。でも実現するとは思っていなかったし、今の現実の生活もありました。翌年、畑中先生も亡くなり、私の「歌手への心」も少し沈静化しました。
<<プロへの芽生え>> 2015年、心筋梗塞の後遺症からも解放され、ソロで歌ってみたくなりました。家の近くのヤマノミュージックサロン声楽コースを受講しました。畑中先生から言われた「テノール」で。半年たったころ、柏川先生から東京国際声楽コンクール受験を勧められ、受けてみたら最上位の第二位、次の年に「春の声」声楽コンクールを受けたら第一位になってしまいました。 会社の仕事も、次第に社内より社外の皆さんの方が私を必要としてくれるようになりました。そろそろ会社も辞める時が来たかな?と、2017年6月、上司に退職届を提出しました。 2018年3月、キリン退職とともに、畑中先生の言われた「イタリアに」と、インターネットで調べたシチリア・カターニアのジュゼッペ・コスタンツォ先生のところに2週間の予定で行きました。先生宅の屋根裏部屋に泊めていただき、歌の勉強をしました。癖になっていた「ヴァッ!ヴァッ!」と力まかせに歌うことを柔らかく歌うようにご指導いただきました。
<<大変なところに来てしまった>> オペラ歌手になるためにどうすればよいかと様々な人に聞いてみると、「日本オペラ振興会オペラ歌手育成部」で勉強するのが良いと勧めていただく方が多かったので、受験することにしました。一方、多くの方がプロになることを反対されました。「あなたはアマチュアで日本一です。どこへ行っても大事にされます。プロになったら苦労することしか考えられません。いい年なのだから今で満足したら」と。また、オペラ歌手育成部の面接を待っていると、事務員から「アマチュアコースもあるのでそちらに行かれたら。以前、あなたぐらいの方がおられましたが、稽古で骨折されました」と。面接官からは「私は貴方を落とそうと思っています。藤原歌劇団は貴方に配役することはない。歌劇団の経営を考えたら、若い人、留学帰りの人に配役する」と。こんなに言われても、私はオペラ歌手育成部で勉強させてくださいとお願いしました。なぜか受かりました。 「研修所時代のこぼれ話」 入所式、稽古着、同期関係、稽古(ダンス、日本舞踊、演技)をここで紹介します。 入所して、特に苦しかったのは演技で「君には教えることはない(教える価値もない)」と半年間無視されました。でも「イヤだったらいつ辞めてもよい」という世界で悩みましたが、ピアノ伴奏の今野先生に「あなたは容姿は別として主役の声を持っている」。今の欠点は「無駄に動いている」、動くことに意味を持て。そうでなければ「絶対に動くな」とアドバイスをもらいました。 研修所2年目(2019年夏ごろ)になると、なんと「声が嗄れた!!」のです。数分歌うと声が出なくなるのです。 『演技はダメ、歌もダメ』 オペラは一人ではなく、何人もの共演者がいます。同級生たちと歴然とした格差があります。同級生たちは私と一緒に演技をするのは避けたいと思っているのではないか。自虐的に彼らの心を疑うようになりました。朝から晩まで悩んでいました。 なんて卑しい心!!! 演出家の先生が代わりました。今度の久恒秀典先生は丁寧に演技を基礎から教えてくださいました。同級生からも貴重なアドバイスをたくさんもらいました。基本動作を毎日毎日繰り返しました。修了公演2週間前の通し稽古で、同級生から「ありがとう。勇気もらえた。私も頑張る!」と言われました。30歳以上年齢の違う私が必死でもがいている姿を、いつの間にかお荷物ではなく、一緒にもがく戦友と感じてくれていたのです。 無事に2020年3月の修了公演を終え、これまた奇跡!!「藤原歌劇団準団員、日本オペラ協会準会員」になれた!のです。 プロオペラ歌手!!
<<また試練>> コロナ禍でほぼすべてのコンサートがキャンセル、延期!!! やっとプロオペラ歌手になれたのに。
<<会社員として>> 2018年3月キリンビール退職まで話を戻します。キリンでは退職者にはもれなくリクルートの再就職プログラムがついてきます。そこで、私の職種性向診断があり、(1)人に自分の知識・スキルを伝えること(2)自分の専門性を活かして課題解決することが、「喜び」につながるとのこと。キリン時代から複数の社外研究会のアドバイザー、コメンテータ、ユーザー会会長など多くの会社とやりがいをもって交流を持ってきました。自分の性格を再認識しました。 そしてイタリア渡航前、キリン時代からお付き合いのあったアイ・ピー・ファイン株式会社の古川社長から電話をいただき、退職後どうするのか聞かれたので、「コンビニなどでバイトをしてオペラ歌手修行をする」と答えたところ、「オペラ歌手と会社員を両立しないか」と声をかけてもらいました。オペラ歌手研修所は研修時間が不定期で、通常の会社勤めはできませんが、スケジュール調整を柔軟にしてくれました。 キリン時代に培った自分の専門性を十分に活かし、「効率・効果的な研究開発のためのAIも組み込んだシステム開発」をしています。またAIの応用についても年3,4回の専門書への寄稿、講演会を通し、企業R&Dへの様々な提案をさせていただいています。そして、現在も会社上げて私のオペラ歌手活動を応援(特にスケジュール調整)していただいています。
<<再び夢の世界へ>> オペラ歌手育成部に入所して、「歌を上手に歌うだけではダメだということ」を強く認識しました。また、慣れない演技に心が向かうと、発声法が疎かになり声が出なくなるということも経験しました。今後のオペラ歌手として成長の方向性と具体的方法を以下のように考え、実行しています。 前提; すでに60歳を超えており、5年後にピークが来ると想定(明日かもしれませんが)。留学はできない。ほとんどのコンクール、オーディションは年齢制限があり活躍の場は限られる。藤原歌劇団、日本オペラ協会も積極的に私をオペラに起用しないだろう。そして何よりも大切なこと。悲壮感なく、人生を楽しんでいきたい。私の歌を聴いていただいた方に、本当に心から感謝したい。会社員との両立をしっかり図っていく。
—本日歌唱予定曲— 2.北野高校校歌 作詞; 土井晩翠 作曲; 岡野貞一 3.荒城の月 作詞; 土井晩翠 作曲; 滝廉太郎 編曲; 山田耕筰 4.Core ‘ngrato 作曲; S.カルディッロ 5.歌劇「道化師」 衣装をつけろ 作曲; R.レオンカヴァッロ 6.献呈 作曲; R.シュトラウス 7.歌劇「トスカ」 星は光りぬ 作曲; G.プッチーニ 8.歌劇「カルメン」 お前の投げたこの花は(花の歌) 作曲; G.ビゼー 9.ただ憧れを知る者だけが 作曲; P.チャイコフスキー 10.歌劇「トゥーランドット」 誰も寝てはならぬ 作曲; G.プッチーニ 11.アンコール曲 勿忘草(忘れな草) 作曲: E. クルティス
<<まとめ>> 高校、大学時代はフワフワと記憶もないほどの青春を送っていました。その中でも、同期、先輩、畑中先生へ「憧れ」を持つことで私は成長してきました。死を意識した時に「憧れを自分のものに」と思うようになりました。オペラ歌手育成部で、身体がいうことを聞かず心が折れそうになった時も「憧れ」に救われました。 私は59歳でオペラ歌手デビューとなりました。妻から言われた言葉があります。「60歳からは今日がいちばん」。60歳を超えると、毎日すべてが退化するのよ。だから体力、知力、気力は今日が一番なのです。今日を大切に、これからも頑張っていきたいと思います。
これまでのコンサート
・・・・・・これからのコンサート等予定(2023年)・・・・・・・・
ご来場お待ちしています。一報くださいね。 Email: hiroshihirao@outlook.jp、 (携帯)awabubu12-banba-myaocyoji01@ezweb.ne.jp Tel; 090-4544-6545
Ⅷ.質疑応答
橋口善朗さん 79期 Q:歌をお聞きしてイタリア語の発音が正確なのに感心しました。私も東京外大で語学を学んだので判るのですが、他にもドイツ語、フランス語、ロシア語などの歌も正確な発音で歌われています。どのようにしてこのような多くの語学を学ばれたのか教えてください。 A:語学はNOVAやNHK外国語講座で学習しました。正確な発音はオペラを歌ううえでも重要と考え、特にイタリア語はイタリア留学から帰国したばかりの人に師事して5年間学びました。また、歌手としての自分の特徴を際立たせ、若い歌手たちに勝るためにも、多くの言葉(現在の目標10か国語)で歌を歌えるように努力しています。 大学合唱団の指導者、畑中良輔先生は「若いうちに多くの言葉に触れることが大切」と常に言われ、たくさんの言語での歌を歌わせていただきました。 |
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Ⅷ.資料 | 発表-東京六稜倶楽部20230419.pdf(3MB)
現在音声記録を編集中です。一部ですが、最後の曲の「誰を寝てはならぬ」の一部を録画したものを添付します。 http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2023/04/2023.4.19-平尾啓コンサート録画ー部分.mp4 なお、平尾さんは、2022年12月3日に六稜トークリレーに出演されました。その時のYouTubeから、平尾さんの歌をお楽しみいただけます。 |