Ⅰ.日時 | 2020年6月20日(水)14時00分~15時50分 |
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Ⅱ.場所 | Zoomによるオンライン開催 |
Ⅲ.出席者数 | 159名(~69期:16名 70~79期:47名 80~89期:25名 90~99期:25名 100期~:4名 講師関連:24名 不明:18名) |
Ⅳ.講師 | 平尾 啓さん@92期 (藤原歌劇団準団員、日本オペラ協会準会員、アイ・ピー・ファイン株式会社 取締役 常務執行役員) アイ・ピー・ファイン株式会社では、人工知能などを利用した知財情報調査の効率化、IPランドスケープなどを主題とした商品開発、営業業務を行い、月に数度の講演会や研究会主催、年数件の著作活動も行っている。大阪府立北野高等学校ではコーラス部に在籍。1980年3月に卒業。慶應義塾大学理工学部卒、同大学院理工学研究科修了。大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサイエティ男声合唱団に在籍。バリトンパートリーダーを務める。1987年キリンビール株式会社に入社し、約30年間勤務した。 第7回東京国際声楽コンクール声楽愛好者部門A第2位(最上位)、第3回「春の声」声楽コンクールアマチュア部門第1位となり、プロ歌手を目指す。キリンビール退職時にイタリアに短期留学。 コロナの影響で日程調整中だが藤沢市民オペラ「ナブッコ」に出演予定。 https://f-mirai.jp/archives/60812 |
Ⅴ.演題 | 「オペラ歌手~自分の可能性を信じて~」 |
Ⅵ.事前宣伝 | 「北野高校コーラス部で歌う楽しさを知り、慶應義塾大学で木下保、畑中良輔、諸先輩方の合唱指導を受け、上達するワクワク感、達成感などを味わい、歌うことは私の生活の一部になった。一方、慶應義塾大学院を修了、キリンビール株式会社に就職し、その後30年間会社員として普通に過ごした。そんな私が一大決心、会社を退職しプロオペラ歌手を目指し、イタリアに短期留学し、「日本オペラ振興会オペラ歌手育成部」を受験、2年間オペラ歌手の勉強をしてきた。20歳代の同級生たちの中で、来年60歳になる私の奮闘の記録、また再就職した会社の理解あっての活動でもあり、両立についてもお話しします。そしてオペラ歌手としてたくさん歌わせていただきます。」 |
Ⅶ.講演概要 | コロナ自粛が続く中、東京六陵倶楽部の講演は4か月ぶりとなる。出席者の安全を確保するため、初のオンライン開催となった。いつもは参加が困難な関東圏外からも多くの同窓生および関係者が参加した。通常開催とは単純に比べられないし、不明者が18名含まれるとはいえ、出席者数159名は東京六稜倶楽部始まって以来、歴代第1位の記録である。講演中はたくさんの演奏を聴かせて頂いた。
人生の節目となった当時の貴重な録音もいくつか披露された。最初の「オーソーレミーオ」からアンコールの「トスカ(星は光りぬ)」まで、まさに公演のようだった。Zoom環境での上演の為、拍手喝采は控えられたが、演奏が終わるたびにZoomのチャットにはたくさんの賞賛のメッセージが寄せられた。 紹介者は94期の伊豆原孝さん(94期)。伊豆原さんは妹に当たる平尾昌代さん(現姓:今出川さん)とは3年生の時に同じクラスだったが、平尾さんご本人とは全く面識がなかった。1996年に地元の藤沢男声合唱団に入団した時に、先に在席しておられた平尾さんと始めて出会った。以来24年間アンサンブルや合唱団の活動を通してお付き合いが続いている。
1.「歌」の世界に~きっかけは北野高校コーラス部~ ・3歳からピアノを習い、中学時代は吹奏楽部に所属していたが、特別に音楽が好きなわけではなかった。北野高校入学後は硬式野球もやってみたが長続きしなかった。「興味は持つがどれも好きにならない」性格であった。 2.「夢」の世界に~慶應ワグネル時代 ・憧れの慶應義塾ワグネルの一員となり大変うれしかった。 3.「夢」から「現実」の世界へ~大学院から社会人時代の25年 ・大学4年の時、将来の職業について「会社員5割」「オペラ歌手3割」「高校教師2割」の順番で考えた。畑中先生に相談したら、「これからの舞台人は顔とスタイルが重要、ラジオなら平尾はいいのだが」といわれ、オペラ歌手への道をあきらめた。 4.再び「夢」の世界へ~こころの高まり~2011年夏(当時49歳)人生の転機が訪れる ・所属していた藤沢男声合唱団の第22回定期演奏会で、ジプシーの歌「わが歌ひびけ」を歌った時、ソロのパートをテノールで歌った。テノールは私の専門ではなかったが、私の歌声を聞いた畑中良輔先生が、「平尾はテノール歌手かな。イタリアに留学に行かせてやりたいな。来年の『青の会』に出なさい」とおっしゃって下さった。とても嬉しかった。※1 5.再び夢の世界へ~こころの高まり~テノール歌手を目指す ・2015年心臓病が回復すると、テノール歌手を目指してヤマハミュージックサロン声楽コースを受講した。これまで約30年間バリトンを専門に歌ってきたが2011年の畑中先生がおっしゃった一言でテノール歌手に転向することに決めた。 6.ふたたび「夢」の世界へ~大変なところに来てしまった ・プロになるために、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部 研究生コースを受験した。実技の後の面接官の先生(折江忠道総監督と樋本英一先生)や事務所からは“楽しんで学べる”アミーチコースへのコース替えを強く勧められた。研究生コースは音大の大学院やイタリア留学を何年も経験した人が行くところで「平尾さんが入所してもついていけないと思う」「プロになれても歌劇団は組織繁栄のために若手を起用する」と言われたが、「それでも私は勉強したい」とお話しした。さすがに無理かと思ったが、結果は志望通りの研究生コースに合格できた。 7.ふたたび「夢」の世界へ~2年間のオペラ歌手研修 ⑴1年目~試練、そしてやるしかない ・演技の実習で、演出の先生から「君には何も教えることはない(教える価値がない)」と最初にはっきり言われて、最後のテストまで本当に一言も指導して頂けなかった。 ⑵2年目(声の大改造)~苦しい!ダメかも ・1年目の終わりに折江先生との面談で私の問題点を指摘された。「主役の声を持っている。声が良いので上手く聞こえているだけ。これからプロとして長く歌うなら力で押す発声をやめて本当の歌い方(ベルカント)を身につけなさい」 ⑶2年目(声の大改造に成功)~それでも前に進もう、そして晴れ間が ・和製イタリア語からの脱却→樋本先生から「イタリア語の発音が出来ればベルカント歌唱が出来る」というアドバイスをもらい、ディクション(言葉の発声方法、舞台発声法)の渡辺康先生からイタリア語の発音と発声を教わった。 ⑷無事に卒業~プロのオペラ歌手に ・50歳半ばを過ぎてからプロオペラ歌手を目指した時、樋本先生に諭されたように「オペラを趣味にとどめておく」というのが常識的な考えだったと思う。旧知のコレペティの八木智子先生も「平尾さん、あなたはいくつものアマチュア大会で1位を連続して獲得しています。アマの中では胸を張って一番です。これからも十分楽しんでいけます。なぜ、苦労する必要があるの?」と心配して下さった。それでもプロオペラ歌手になりたかった。 8.ふたたび「夢」の世界へ~そして今、そして今後
2018/10/01 Havest Concert音と食の収穫祭(アルテリーベ東京) 2019/05/19 北野正人コンサート 賛助出演(横浜市都筑公会堂) 2019/05/26 日曜午後の競演会 テノールの競演 平尾&松原(Dot&blue赤坂) 2019/06/30 歌の宝石箱コンサート(茅ヶ崎市民文化会館) 2019/07/06 熱い恋の宴 第10回登竜門(アルテリーベ東京) 2019/12/17 オペラ「愛の妙薬」ソプラノとテノールによるハイライト(アルテリーベ東京) 2020/01/12 ニューイヤー オペラガラコンサート(ムジークフェラインAsama佐久平交流センター) 2020/02/01 ヒデタクバンド ウィンターコンサート(B地区茅ヶ崎自治会) ・アルテリーベ東京で3度コンサートをした。この店は藤原歌劇団準団員以上でなければコンサートを開くことはできず私にはその資格がなかったが、オペラ歌手育成部で習っていた沢崎恵美先生のご紹介で歌う機会を得られた。幸運にもその年の最優秀歌手になれたことから2度目のコンサートを許された。さらにそこで評価いただき、「A級歌手」になり、3度目のコンサートを自主企画のクリスマスコンサートとして開催することができた。人の縁に感謝している。
2020/11/7 デビューコンサート(藤原歌劇団、日本オペラ協会)イイノホール 2020/12/20 テノールの競演 平尾&松原 カフェ 音と共に(春日部) 2021/02/14 テノールの競演 平尾&松原 レスプリ・フランセ(藤沢) ????/??/?? 歌劇「ナブッコ」アブダッロ役(藤沢市民オペラ)藤沢市民会館大ホール 「ナブッコ」の日程の詳細はこちらを参照:https://f-mirai.jp/archives/60812 ・2019年3月に藤沢市民オペラ「ナブッコ」のオーディションを受けた。10倍近くの競争率だったがたった1人の合格者となった。これが私の初めての役付き公演となるはずだった。2020年11月に予定されていた公演は、コロナウィルスの影響で延期され現在日程調整中である。 9.最後に 元をたどれば私の人生の方向性は、北野高校2年3組の同級生との出会いが決め手になった。この出会いに感謝したい。今年になって歌を普通に歌い聴く環境が突然消えてしまった。でも必ず、前のように戻るであろうと確信している。 10.質疑応答 問1)テノール歌手には4種類の役柄があると聞きました。セビリアの理髪師・リゴレット・トゥーランドット・オテロのうちどれがお得意でしょう? 問2)お話しにあった以上に体力的にも精神的にもつらくて大変だったと思います。それでも前に踏み出した原動力は何ですか? 問3)声を大切にするために気を付けていらっしゃることは何ですか? 問4)今後、合唱には参加されますか? 11.注釈 ※1)青の会とは畑中門下生の会、青の会のコンサートはプロで選ばれたものでないとソロができないとされ、畑中先生のあだ名が「ブル先生」だったので「青の会」となった。 ※2)ベルカントとは、「美しい歌唱法」の意味である。イタリア・オペラにおける理想的な歌唱法をさす。ベルカント歌唱が十分に習得できていない中で、ヴェリズモを歌うと、声を壊すことがある。ヴェリズモ・オペラは、1890年代から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの志向である。日本語で真実主義あるいは現実主義とでも訳されるべき一種のリアリズム運動に影響を受け、内容的には市井の人々の日常生活、残酷な暴力などの描写を多用すること、音楽的には声楽技巧を廃した直接的な感情表現に重きを置き、重厚なオーケストレーションゆえに重厚な歌声を駆使することも特徴である。 【Ⅶ章記録:野田美佳(94期)】 |
Ⅷ.資料 | 発表資料20200620.pdf(8.6MB 音楽データ20ファイルで150MB) 文中の下記「スピーカーアイコン」をクリックすると、該当の曲が流れます。 |