reporter:峯 和男(65期)
日時: | 2007年6月20日(水)11時30分~14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 44名(内65会会員:大隅、梶本、正林、山根、峯) |
講師: | 新潟大学名誉教授 前田達郎氏(56期) |
演題: | 「大正時代あれこれ」 |
講師紹介: | (同期生からの紹介)講師は三高から京都大学文学部哲学科に進み宗教哲学を専攻。昭和25年以降新潟大学にて教鞭をとる。パオロ・ロッシ著『魔術から科学へ』の翻訳あり。世界や日本の姿を判りやすく語り、同期生の会誌にも貴重な文章を寄稿している。 |
講演内容: (要点のみ) |
1. 大正時代あれこれ (1)大正時代は影の薄い時代とみられている。しかし大正を消極的にみるのは戦後の偏向した歴史観に依ることが多い。占領時代マッカーサー元帥がはじめて 幣原喜重郎首相に会ったとき元帥がこの遅れた日本を、アメリカのようなデモクラシー国家に変えてもらいたいと言ったのに対して幣原は、日本の「デモクラ シーの潮流」をひきつぎ、日本的なデモクラシー国家をつくりたいと言ってマッカーサーを当惑させた。幣原の言う「デモクラシーの潮流」とはまさに「大正デ モクラシー」を指しており彼こそアメリカ大使、外務大臣として活躍した時代なのであった。 (2)当時日本に関し英語で書かれた本は、人類学者が書いた『菊と刀』および歴史家H.ノーマンの著書の2冊程度しかなく、マッカーサーの日本に対する認識は浅かった。 (3)戦後の偏向した歴史観というのは、日本は「遅れた半封建的な天皇制帝国主義国家」だというマルクス主義のいわゆる「講座派」の歴史観である。講座派 にとって、大正デモクラシーは困った存在で、「あだ花的な腐敗した議会・政党政治時代」とか社会主義国に対する「帝国主義の出発」というような形で否定的 にみられた。大正時代を評価するという意識は最初から無く、井上清というマルキストの書いた『日本の歴史』がベストセラーになるような状況であった。日本 たたきがベストセラーになれば出版社は儲かることもこの傾向を後押しした。当時文化人の代表のように言われていた京都大学の桑原武雄がこの井上を京大人文 科学研究所に引っ張った。井上は中国の文化大革命を絶賛し新聞や雑誌に書きまくったが、文革が収束後中国に行き、その革命が如何にひどかったかを吹き込ま れてからは態度を豹変させた。井上を京大に引っ張ったのは京大の汚点であり、桑原の大失敗であったと言われている。 2. 大正時代の主な事件を列挙する <大正時代の負の面> <大正時代の社会・文化現象> 3.結論 【参考】 |