reporter:峯 和男(65期)
日時: | 2006年4月19日(水)11時30分~14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 87名(内65会会員:新原、大隅、梶本、正林、山根、峯) |
講師: | 元・駐中国大使 中江要介氏(53期) |
演題: | 「この外交不在はどこから来たのか」 |
講師紹介: | (同期生からの紹介)講師は京都大学法学部卒業後昭和22年に外務省入省。フランス語を得意としていたが1971~77年の6年間アジア局において参事 官、次長、局長を歴任。その後1978年駐ユーゴ大使、80年駐エジプト大使、1984~87年駐中国大使等を歴任した。バレエの脚本を書くなど文化大使 としても有名。 |
講演内容: (要点のみ) |
(1)紹介者は先程の講師紹介において、更に本人から詳しい話がある筈と述べたが、私自身のことで特に付け加えることは無い。本日の演題「この外交不在は どこから来たのか」ということの結論を最初に述べれば3秒で終ってしまう。それは「小泉総理が靖国参拝をするから」であり、これでは1時間の話にならない のでこの機会に自分の思うところを述べてみたい。
(2)何が外交不在かといえば、「近所付き合いが出来ていない」からである。「拉致問題」「東シナ海油田開発問題」「国連安保理常任理事国不成功」いずれ も近隣諸国との外交が出来ていないから問題がこじれたり不成功に終ったりしている。常任理事国入りも、アメリカがお世辞で賛成というだけでアジアの中では 誰も支持してくれない。要は、徳がないからであり、アジアに真の友人がいないからである。 (3)「東アジア共同体構想」 (4)「東シナ海油田開発問題」 (5)「在日米軍再編問題」 (6)「六カ国協議」 (7)「日本の戦争処理」 日ソ間ではご承知の通り未だに後始末が済んでいない。未解決のままソ連はつぶれてしまい、ロシアとはまた振り出しに戻っている。韓国との日韓正常化交渉は 椎名特使の随員として交渉に行き、交渉がまとまったが、あくまで南半分とだけであり、北半分は共産国で相手のことが判らぬためそのままになっている。「そ のまま」というのは全く白紙ということ。これを早く正常化するのが最大の問題。正常化しない限り国としての付き合いが出来ない。 小泉総理の訪問により「日朝平壌共同宣言」に署名し最後の戦後処理である日朝国交正常化に途を拓こうとしたところまでは合格であった。しかしその後正常化に取り組む意欲は見られず、六カ国次官級会議が日本で行なわれたが座敷を貸しただけの結果に終わっている。 (8)何故このような「外交不在の事態」になったのか?
日本は国体護持つまり天皇制が守られるなら無条件降伏するとしてポツダム宣言を受諾した。当時の国民は天皇制でマインドコントロールされていたから天皇制 を残すことにある程度の国民的合意があったと思う。しかし天皇制を残したことが災いして、天皇制を利用して自分の野心を実現しようとする軍閥、政治家、財 閥が戦争を推進したのと同じパターンの動きが出てきている。 天皇の名においてやれば国民はそれ程反対しないからである。別の言い方をすれば、天皇制を守ったために外交不在になったとも言える。天皇制に依存し不思議を感じない日本人の国民性が自主性をなくしているとも言える。 (ロ) 日米安保: 上記の二つが日本人に戦争を深く反省させるチャンスを奪い、歴史認識を不十分なものとし、それが現在戦争の是認にまでなって表れている。 (9)天皇の人間宣言 (10)靖国問題 (11)今後の外交 即ち、岸 信介は東条と共に戦争を起こした容疑者と見られており、その孫が日本のリーダーになって良いのかということ。 民主党は新たに小沢氏を代表に選出した。靖国について、彼は極東裁判は認めない、従ってA級戦犯も認めないと言いながら、戦犯を分祀すれば靖国へ行くと明らかに矛盾したことを言っている。 極東裁判が良い裁判か悪い裁判かは論外である。日本は、サンフランシスコ講和条約締結の際、極東裁判を受諾している(報告者注:同条約第11条に明記されている)。 結論として、現実の国際社会をよくみれば、日本はまずアジアの一員として、アジアの近隣諸国との友好関係を築くことを最優先の外交理念とすべきであると考える。 |