Ⅰ.日時 | 2018年9月20日(木)11時30分~14時 |
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Ⅱ.場所 | The BAGUS PLACE |
Ⅲ.出席者数 | 43名 |
Ⅳ.講師 | 辰巳泰子さん@96期 (歌人)
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Ⅴ.演題 | 「短歌朗読――無常の風に抵抗して」 |
Ⅵ.事前宣伝 | 「私が短歌を作り始めたのは13歳の秋。きっかけは、国語の予習をしていて、あすから短歌の単元だなぁ、どうせなら自分で作ってみようという気になったのでした。6年ばかり独学でしたが、19歳のとき、「短歌人」という結社に入会し、高瀬一誌先生に付きました。23歳で第一歌集『紅い花』を上梓し、この歌集は、短歌の芥川賞といわれる現代歌人協会賞を、当時としては最年少で受賞することができました。受賞を受けて思ったことは、文学賞の受賞作家として、発言する手形を手に入れたということでした。実社会における通行手形です。そしてこの手形が、世の中を助けることに結びつくのがいいと考えていました。ところがまもなく、離婚によってシングル・マザーとなり、自身の名誉や地位や財産を押し上げていく才覚などさっぱり無かったことに直面し、ただただ、子育てと実作の傍ら、教材制作や塾の講師や、身の上をなるべく侮られないお固い方面の在宅勤務やアルバイトで、口に糊せざるを得ませんでした。まさに「貧しさに耐えつつ生きて或る時はこころいたいたし夜の白雲」(佐藤佐太郎)というふうでした。
2001年に転機が訪れ、朗読の活動を始めることになりました。岡井隆さんにお声をかけていただき、岡井さんのカルチャースクールで短歌朗読を初体験してから、自分なりにもっと深められるのではないかと思うようになりました。都内のライブハウスを中心に、10年ぐらいソロライブを続け、そのなかで、「安達ケ原」や「平家物語」といった古典を戯曲化し、手がけたりもしました。2013年以降、家族が病に倒れたのをきっかけに英語の勉強を始め、2016年には「古今和歌集」から101首の英語超訳「The Natural Beauty」が完成しました。そうこうするうち母が亡くなり、しばらくは、連句に夢中でした。無常の風に、抵抗して――。 当日は、思春期の読書であった『風姿花伝』の一節と絡めながら、短歌朗読をさせていただきます。」 |
Ⅶ.講演概要 | 講演は三部構成。配布資料に引用された「風姿花伝」の出典は以下の通り。小学館『日本の古典をよむ17 風姿花伝 謡曲名作選』 [校訂・訳] 表(おもて)章(あきら)・小山岳志・佐藤健一郎 ++-++-++-++-++ 第一部 プロローグ 高校生の頃、教科書販売店の古典コーナーで、そのタイトルのカッコよさに心惹かれ、一冊の文庫本を手に取った。そこで、その内容に衝撃を受けた。そして、いつのまにかこの一冊を、実人生のテキストのように読み替えていた。今なお、幽玄とは何かと、中世からの問いを投げられている。世阿弥はその意味を明らかにはせず、わずかに具体例を挙げつつ、幽玄とは最高の美であるとした。今日、自分自身が五十歳を過ぎて、その答えに至る。幽玄とは、はかないもの。すなわち生命そのものではないか。夜中にふと目を覚まし、さっきまで夢に来ていた親が、もうこの世には亡いのだと噛みしめる。故郷の町並みは移り変わり、幼い日の記憶は定かでなくなってゆく。この場で、現代を生きる我々にとっての幽玄、愛おしくも過ぎ去るものの意味を、皆さんと考えてみたい。 それでは「年来稽古条々」から。年齢別の教育論ともいえる章。七歳までは、あまり厳しくしつけるより好きなことをさせるのがよい。学び始めは十二三歳からがよい……などと記され、現代の教育観と通底する。「幽玄」について、世阿弥はまず、ここで言い切る。「十二三歳の子供はどうしたって最高に美しい(幽玄なり)」と。しかしまだ、「まことの花」は得られず、その一時で過ぎ去る美しさは、「時分の花」であると。 さて、十七八歳の頃。現代の高校生もそうであろう。すべきことが多すぎて稽古すら十分にできないほど忙しい。声変わりして可愛らしさがなくなり、身体が大きくなり、それまで夢中になっていた事にふと冷めてしまう。しかし、ここで冷める人は大成しない。どんなに他人に嘲笑(あざわら)われても、この道にかじりつき、ここが人生の境目だと思って、その道を捨てないという決意がこの時期には必要だと説く。 二十四五歳で才能のある人は頭角を表し、花ひらく。けれども、そこでちやほやされて思い上がれば、その花も、やがては萎む。工夫をして、よく考えなさい。自分自身が何者かが分かっていれば、「まことの花」は、生涯なくならないと説く。 三十四五歳は、そろそろ先生扱いされるようになる。私自身もこの年齢の頃、このまま作風を守りに入れば、ラクができると思われた。しかし、それで良い気がしなかった。攻めに行く決断をし、短歌朗読の活動を開始した。当時、短歌朗読を中心とする歌人は少なく、福島泰樹さんの独壇場であった。意識した違いは、福島さんは音楽的であり、自分は演劇的であろうとした点にあろうか。観客は舞台に非日常を求めるのであり、そのために、福島さんとは違う工夫がいった。コート、襦袢など身近なものを小道具に、身一つでできる簡素さを心がけた。それが、さるライブハウス社長の目に留まり、短歌朗読DVDをリリースでき、福島さんの導きで、2008年には東京ポエトリー・フェスティバルの日本代表の一人として朗読させていただいた。 しかし元々、こうした冒険は五十歳までにやりきってしまおうと考えていた。なぜなら世阿弥は、非常に厳しい言葉を残している。高校生の自分を、震撼させた一節である。 「四十四五歳を過ぎての素顔は、よほどの美形でなければ、見られたものではない。見せよう見せようとするな。自分の得意なことをさっと流して、若手に花を持たせなさい。そういう上手な人は自分を知っているから、わざわざ下手に見えるような冒険はしない」、「五十歳を過ぎてしまえば、何もしないのが一番である」と……。 これほどに残酷な言葉があろうか。現代人のほとんどは、子育てを終えれば定年を迎えれば、ようやく本当にしたいことを始めるのだと老後に期待している。世阿弥は、そこで、こうも説く。 「たとえ一時の花は終わってしまっても、枝葉も少なくなってしまっても、まことの花は残る」と……。「自分自身を知ることが、まことの花を残すことにつながる」とも、繰り返し説く。 「まことの花」とは? 人それぞれに、答えは違うであろうが、自分の役割を知り、その分限を果たすことではなかろうか。
第二部 前半の朗読
(舞台中央に一脚の椅子。演者がこしかけ、照明は、観客席は落ち、舞台上がすべて点される)
「物まね条々」は、「風姿花伝」の役別の演技論が記された章。自著『いっしょにお茶を』からの短歌朗読に挟んで、以下のように語った。
<女>は、女に生まれているのだから、自然と女でいられる。男であれば、「女」を、演じなければならない。あたりまえのことだが、男の人生には、「女」を演じなければ、切り抜けられないときがあるような気がする。 <法師>は出家者。現代における法師とは……。故郷であり、また、北野高校のある十三の町で、しばしば垣間見た白装束の傷痍軍人をイメージする。無為と見えて、ひたすら佇む人。想いを抱え佇む人。 <修羅>とは、死後にも斬り合う武士の霊をいうが、思春期の心、また、成人してからは実社会との闘いにあると読み替えた。男の人生は、自尊心といかに折り合いをつけるかが、重要な課題であろう。社会人となった息子を見ていてそのように思う。 <直面(ひためん)>とは、仮面の下の素顔をいう。現代の仮面とは、組織の役職名、父親母親といった家族のなかでの役割名を指すのであろう。よほど達者であれば、直面となっても幽玄であると世阿弥は説いた。 <鬼>とは、ただひたすら恐ろしいもの、おもしろければ違和感のあるものと、世阿弥は定義した。現代において、鬼とは何か? 私はここで戦争を想う。古代より戦乱は、田畑を焼き払って進軍し、反社会的とならざるを得ない階層を生み出したのだから。 <物狂(ものぐるい)>といえば、誰にでも思い当たるのが、恋愛中の自分自身。いまは不仲の夫婦でも、昔はバカップル。ここでは不倫愛を取り上げた。
第三部 後半の朗読
(椅子が下げられ、ジーンズ姿に麦わら帽子をかぶり、ポシェットを袈裟がけにした演者が舞台に立つ。少女ではなく、年若い母親のイメージで。照明はピンライト一つ。浮かび上がる姿と影――。)
2008年東京ポエトリー・フェスティバル日本代表の折の朗読 (辰巳泰子作、松岡英明&ジャック・ガルミッツ英訳)を、演出を変えて再現した。
質疑応答 最後に、質疑を受け、その応答として、朗読した中からお気に入りの自作短歌を三つ挙げた。
1) がらーん橋このさき行かばずどーん橋暗渠にかかる戸板ごとき 2) 怪我をした君もわたしも血かたまり肉盛ればそのうえにまた逢う 3) つらぬきて子を持たぬ生もはや無くだぶだぶとせつなさの袋のごとき子 |
Ⅷ.資料 | 東京六稜倶楽部第189回講演資料-Web用(0.3MB) |