【第174回】6月「六十の手習いで経済学博士に -私の生涯学習-」

Ⅰ.日時 2017年6月21日(水)11時30分~14時
Ⅱ.場所 銀座ライオン7丁目店6階
Ⅲ.出席者数 58名
Ⅳ.講師 佐藤達男さん@75期 (富士エアロスペーステクノロジー(株)元常務取締役、経済学博士)
1967年京都大学工学部航空工学科卒業。富士重工業(株)入社 航空機開発に従事
2008年:富士エアロスペーステクノロジー(株)常務取締役退任
1993年~1999年筑波大学基礎工学類非常勤講師
2003年~2014年帝京大学理工学部非常勤講師
2016年:立教大学大学院経済研究科博士課程修了、経済学博士
著書:
中島飛行機の技術と経営」(2016年4月発行)
NHKテレビ:昭和の選択「太平洋戦争 幻の航空機計画-軍用機メーカー中島飛行機の戦争-」
NHK BSプレミアム 出演 12月8日20:00~20:59、再放送12月15日8:00~8:59
Ⅴ.演題 「六十の手習いで経済学博士に -私の生涯学習-」
Ⅵ.事前宣伝 「航空機技術者をリタイア後、違った分野に挑戦しようと歴史研究を思い立った。博士号取得までは考えていなかったが、成り行きで経済学博士となった。門外漢がどのようにして学位を取ったか、若干の苦労話を交えてまずお話しする。
次いで、歴史を学ぶ面白さについて。人類の歴史は興亡の歴史といえる。民族、王朝、国家、そして企業も例外ではない。明治維新以降ほぼ150年、その半ばで昭和の15年戦争という国家存亡の危機があった。戦時期日本の最重要産業であった航空機産業で急拡大し、敗戦で消滅した中島飛行機の興亡を例に、企業の風土と継続性を考える。」
Ⅶ.講演概要 今回もパソコンにより多くの映像を写しながら話が進められた。また、詳しいレジュメが出席者に配布され、それに沿って説明がなされた。以下、その資料の中の要点を中心に述べることとする。++-++-++-++-++

自分は小学生の頃から宇宙開発に憧れていた。そのために大学でも工学部航空工学科に入学、航空機開発のできる富士重工業に入社した。同社の前身は、中島飛行機であり戦争中は隼などの航空機を製造していた。

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たまたま昨年4月に「中島飛行機の技術と経営」という本を出版したのでご興味のある方はご一読頂きたい。

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話題:
(1)経済学博士のなり方、(2)歴史を学ぶ面白さ(3)戦時期日本の航空機産業(4)中島飛行機の興亡と戦後(日本のこれから)

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学位取得の経緯:
2008年4月放送大学大学院文化科学研究科入学(63歳)戦前日本航空機産業を研究テーマ。2010年3月同終了、学術修士。航空機工業および自動車工業に見る日本的特質―小型・軽量思想の継承。

2012年4月立教大学経済学研究科博士後期課程入学。中島飛行機の技術と経営を、三菱重工業をベンチマークに分析、評価。

2016年3月同終了、経済学博士(71歳)「中島飛行機の産業技術的研究」

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課程博士の取得要件―省略

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審査論文―日本の学界数は1,176もある。内経済学は29、経営学43である。審査論文は学会誌掲載まで時間がかかる。審査は通常2~3名で関連分野の研究者により行われている。

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戦時期一次資料(原典)―歴史の証人:機密資料は政府、陸海軍、企業とも終戦時に殆ど焼却。公的機関による保管・公開としては国立公文書館、外務省その他で保管されている。

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United States Strategic Bombing Survey Reports-省略

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歴史を学ぶ面白さー興亡の歴史、歴史は何時か来た道=なぜ同じことを繰り返すか、歴史は未来を映す鏡

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王朝・国家の寿命―省略

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戦時期日本の軍用機総決算:第二次世界大戦はは航空機の消耗戦

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戦前日本の航空機製造会社―中島飛行機、川崎航空機、三菱航空機など

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日本軍航空運用の弱点:
短期決戦志向で消耗戦への備えなし→泥縄の増産計画。陸海軍の協調なく、技術開発・生産能力を共有せず。攻撃重視、防御軽視「飛行性能第一」。軽戦闘機(機動性)から重戦闘機(高速、重武装)への転換遅れ→成功体験の罠。戦略爆撃機の構想無し。米軍の評価:熟練パイロットの価値、新規養成の困難さを正当に評価せず。航空機の性能を優先して安全性を犠牲にした。

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戦時期日本航空機産業の弱点:裾野産業が未発達。海外(米国)依存から脱却できず。高馬力エンジン開発の遅れ→馬力不足→小型・軽量化→強度・剛性・堅牢性不足。自動車産業が未発達→大量生産技術の遅れ・資源の制約→アルミニウム、希少金属枯渇→代用材使用→品質・強度低下。

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中島飛行機の興亡:
1917年、機体開発・生産で創業。
1924年、エンジン開発・生産に進出。日中戦争期以降軍の増産命令で急膨張。増産資金は命令融資により興銀から「湯水の如く」提供。
1944年1月軍需会社に指定。
1945年4月民有国営化(第一軍需工廠)
1945年8月15日敗戦。「富士産業」と改称し「中島飛行機」の名称は消滅。

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中島飛行機の企業風土:
中島知久平がカリスマ。社訓、社是はなし。短期間に急膨張→企業文化を形作れず。管理法は町工場並み。
特徴3点:技術者優遇、群雄割拠、自由闊達

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中島飛行機の戦後:
15工場で民需転換、他は閉鎖あるいはGHQが接収。4大財閥と同等に扱われ1945年11月にGHQから解体指令。
1953年7月に分割子会社6社が再結集、富士重工業が成立。結集の旗印は「航空機生産」旗振りは興銀。その後長らく興銀の支配下。有力子会社の一つ富士精密工業は1952年に立川飛行機の後継会社と合併、プリンス自動車となり、後に日産自動車に吸収合併された。後継会社に色濃く残ったのは、「品質重視」「技術優先」の思想。

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防衛産業大企業の体質と特色(詠み人知らず):
三菱重工業:価格第一・民尊官卑
川崎重工業:気宇壮大・実行無視
富士重工業:技術先行・唯我独尊
石川島播磨:空想科学・現実逃避
三菱電機:口先三寸・八方美人
日本電気:提案豪華・竜頭蛇尾
日立制作所:この木何の木・人畜無害

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日本のこれから:
明治維新から敗戦まで77年、戦後復興からバブル崩壊まで45年、その後は失われた20+α年。GDPは停滞。世帯所得は減少。
高齢化+人口減→税収減+歳出増加→財政破綻?
会社の寿命30年説(1983年日経ビジネス)如何にして時代・環境の変化に対応するか
造船、繊維、鉄鋼、エレクトロニクス、自動車、半導体、原子力、

インフラ、AI、IoT、・・・技術大国崩壊中

日本は何で稼いでいくか

先を見る目:アナログ技術からデジタル技術、内燃機関から電気モーター

AI&IoT

Ⅷ.資料 2017.6.21東京六稜倶楽部講演(0.9MB)

 

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