Ⅰ.日時 |
2017年1月18日(水)11時30分~14時 |
Ⅱ.場所 |
銀座ライオン7丁目店6階 |
Ⅲ.出席者数 |
73名 |
Ⅳ.講師 |
若林三弥子さん@88期
同志社大学法学部卒業後三菱商事に入社。同じ職場の男性と社内結婚。その後バグダット、ブエノスアイレス、サンパウロと夫の転勤に伴い海外に居住。帰国後暫く後の50歳目前で料理教室を始め、これを大きく発展させて現在に至る。
2005年、北鎌倉の自宅にて料理教室「boa mesa」(ボアメーザ:ポルトガル語で“素敵な食卓”の意味)を始める。料理、スタイリング、おもてなし、すべてに満足できると評判のレッスンに、ワンクールに450人の生徒が通い、さらに約1000人がキャンセル待ちする、「日本でいちばん予約のとれないサロン」の「サロネーゼ」としても知られるが、独自の野菜調理法「蒸しいため」でも注目を集めている料理研究家。
2014年12月12月17日(水)には待望の新刊「ようこそ、幸せのテーブルへ北鎌倉ボアメーザの美味しいおもてなし」(河出書房新社)を発売。 美味しいものとワインが大好きな、その親しみやすいラテン系の人柄で、多くの生徒を魅了している。
ほぼ毎日開催のレッスンを運営しながら、テレビ・ラジオ・雑誌等のメディア、企業タイアップのイベントや広告関連の仕事をこなし、10冊の著書を上梓、版を重ねている。
boa mesa http://www.boamesa.jp/
|
Ⅴ.演題 |
「50歳目前でスタートした自宅料理教室を日本一のサロンに成長させるまで」 |
Ⅵ.事前宣伝 |
「10年前にスタートした自宅料理教室の様子をパワーポイントでご覧いただき、なぜ、人が集まり、外部のお仕事も広がっていったのか、その原動力の「人は人を幸せにすることでしか幸せになれない」というモットーなどを中心にお話しさせていただきたいと思っております。」 |
Ⅶ.講演概要 |
- 自分の旧姓は「北野」。父は66期の卒業、妹二人も北野卒で、北野3姉妹 などどと言われていた。
- 大学卒業後、三菱商事に入り23歳で同じ職場の男性と社内結婚。その後3回の海外居住を経て帰国。タイトルにあるように50歳目前から自宅で料理教室を始めた。
- 最初は僅か24名の「ママ友」達で始めた料理教室であったが、その後その人達の友人が加わって48名になり、倍々ゲームで人数が増えて半年で100名になった。
- その後も人数が増え続け、2016年4月現在で延べ3万人が訪れている。
- 自分が料理教室を始めた理由は真に単純で「来て頂いた方に楽しんで頂きたい」という気持ちだけであった。最初は不慣れなこともあったことから参加された皆さんが「助けてやらなければ」という同情の気持からいろいろ援助して頂いたことがその後の発展に繋がったのではないかと思う。
- 教室を始めて3年目に著書を出版したが1週間で重版され非常に好評であった。この本が大きな節目になり、その後の発展にも貢献したと思われる。本の影響もあって現在は沖縄、シンガポール、台湾などからも来て頂いている。
- この料理教室が評判になって、テレビ局からも取材の申し込みがあり各地上波局・BS・CSで「野菜の蒸し炒め」を紹介、この調理法が各メディアで採り上げられるようになった。また、フジテレビの朝の情報番組「ノンストップ!」で一年間月曜日のレギュラーを務めた。
- 現在は料理教室の他、空いた時間はテレビ出演、地方講演などで1年中休みなしに働いている。
- 料理は全て創作料理であり、春夏秋冬の四季それぞれの12品ほどで構成されるコースを考えて作っている。生徒さんは三ヶ月に一度参加する。
- 教室はスペースの問題もあるので毎回の人数は限定せざるを得ない。当日の料理は、一人のアシスタントを使って全て自分でやり、参加者には手を出させない。毎回フルコースの料理を作り誠心誠意サービスしている。
- 以前テレビ実演で紹介した料理の一つを、あるレストランが定番メニュとして採用することになった。
- 料理教室では食器、テーブルクロスなどを毎回変えている。三ヶ月の間使ったものは出席者の中の希望者に安い値段で譲るようにしている。
- 前述の通り、自分は23歳で結婚、直ぐバグダッドへ行ったが丁度イラン・イラク戦争の影響下で食料も極端に不足、つぶれたトマトなどしか買えないような状況であった。最年少の主婦であったので、年長者を始め多くの主婦の方々にいろいろな面で助けて頂いた。
- それら主婦の先輩方を見て、企業戦士の夫を助ける主婦も、立派な仕事の担い手であることが判り、プロの主婦になろうと決心した。
- 子供が大学を卒業した後サロンをスタートさせたが、夫が理解と協力、信頼で支援を続けてくれ、赤字のサロンを支えてくれている。
- 10周年のパーティの時はミシュランの三ツ星レストラン「ジョエル・ロブション」を昼夜借り切って10周年を祝った。
- これまでの経験で感じたことは:「一番美しい感情は感謝である」ということ。多くの人との出会いは貯金のようなもの、残高は確認できない。つまり、出会いの通帳には残高は記載されていない。自分が心がけていることは、「接遇」即ち相手を大切にするおもてなしの心である。
- 最後に、若林三弥子の「幸せをよぶ五つのおもてなしの心」をお伝えして終わりと致したい。
1)目の前の人は自分の鏡です
2)たとえ短くても時間を共有することは、人生の一部を共有することです
3)出会いは貯金のようなもの、でも残高は決して計算できないものです
4)今やるべきことは一瞬あとでは出来なくなっているかもしれません
5)人は、人を幸せにすることでしか幸せになれません
|
Ⅷ.資料 |
なし |