恩師の近況1997【社会】

井之元春義先生 【世界史・日本史】昭和36年~昭和41年

簡単に私の経歴を記しておきます。北野高校から府教委に入り、学校現場に戻って、府立長野北高校教頭を経て、府立長野高校長6ヶ年やり、昭和60年3月末日に定年退職しました。本来が日本史が専攻ですので、それを生かして国史学科の講義のある奈良文化女子短大で十二年間専任教授をつとめ、平成9年3月末日で同短大を退職しました。 その間の大した学問業績ではないのですが、今年3月初旬に「楠木氏三代」として故郷の武将楠木正成・正行・正儀の活躍と人となり等を史論風にまとめて、大阪の創元社より発行しました。未だ大きな書店にならんでいる筈です。目下「武士道と近・現代思想」の執筆に、無い頭をしぼっています。天下の名門北野高校の勉学・スポーツ両面の活躍を祈って止みません。

柏尾洋介先生 【社会(世界史)】昭和41年~平成8年(1966年~1996年)

昨年3月を以て、北野高校での30年(最後の5年間は特別講師)の生活をおえ、無職の年金生活者となりました。5年前に初めて約1ヶ月半におよぶ入院生活を経験し、現在も月に1~2回通院していますので、無病息災とは申せませんが、ベンキョーだけはやらねばと思っております。幸い先輩の深江浩先生 (1967~1973在職。『北野百年史』の共著者の一人)がオダテテ下さいますので、先生主宰の雑誌『あしかび』に昨年フランス革命史家マチェの文章の文字通りの拙訳をのせていただきました。細々とでもこの種のことは続けたいと思っています。小生にとっては「北野」は第二というよりも、精神的には真の母校です。いろいろ不十分な点はあるにせよ、「唯一の」学校です。『北野百年史』執筆を機に、本当にいろいろ学べたことを心から感謝しています。だから、(押しかけになっては悪いと思いますが)六稜同窓会にはいつでも喜んで協力いたしますから、御遠慮なく、必要なときにおっしゃってください。写真は今春、団体旅行でシチリアに行ったときのものです。セリヌンテ(古代ギリシア神殿遺跡)にて。

田村光一先生 【社会科】昭和52年~昭和58年

府立貝塚南高校教諭から府立貝塚南高校教頭になり、その後府立柴島高校校長・府立島本高校校長・科学技術学園講師を経て、現在大阪経済法科大学入試広報部主幹として勤務しております。北野高校に比較的近い中津に住んでおりますので、北野高校生や北野高校を時々見聞し、その発展をうれしく思っております。

深江 浩先生 【日本史】 1969年9月~1973年3月

北野では受験のためにも役立つと同時に、歴史的にモノを考えるおもしろさ、大切さについて、生徒諸君に学んでもらうことに苦心をしました。そのための副教材として『北野高校日本史演習』(B5判全4分冊)なるものを、作ったりしました。一方、村川、柏尾、水落の3先生と共に北野百年史編纂の仕事を浦野校長から命ぜられ、担任は69年度1年だけしかやらせていただけませんでした。今 NHKテレビ「日本人の質問」によく登場する阿辻哲次君なんかが私のクラスにいました。男子ばかり40人の面白いクラスでした。折からの学園紛争の闘士も幾人かいました。彼等はマジメで、私は真剣に彼等と議論したものです。オーケストラ部の顧問も勤め、よく合宿を共にし、そこで豊嶋和史君の指揮者としての才能に驚きました。 73年4月京都薬科大学へ転出し、教養の文学とドイツ語を担当することになりました。北野で教えた諸君ともまたあい見えることになり、私のドイツ語を危なっかしそうに聞いてくれておりました。薬大には18年おりまして、95年2月に定年退職しました。その間、同志社、立命館、花園などの文学部で、非常勤で、漱石や文学理論について講義しておりました。 退職後は、立命館、花園のほか滋賀医大や大阪府立看護大学の非常勤講師を勤めましたが、今年の4月以来は全くフリーになり執筆に専念しています。昨年は古希の記念に『漱石の20世紀』(翰林書房)なる本を出しました。私の研究領域は主として漱石とその時代ですが、理論的には、ルカーチとバフチンに学ぶところが大きいです。ルカーチから一番学んだことは、全面的な商品経済社会では対象となる世界がモノ化すると同時に、主体となるはずの人間の意識もモノ化するということ。従ってモノ化した世界や人間の意識をそのまま現実と見誤って書かれた文学作品は真にリアルな作品とは言えないということです。バフチンから学んだことは、生きた言葉はすべて対話的であること。それぞれ固有の見方を持って生きる諸個人と対話的に向き合い、作者の固定的な視点で登場人物を客体化しないことが新しいリアルな表現にとって大切であるという考え方です。これらは文学の問題を超えて現代にいきるものの姿勢として大切と思われます。今日の状況に問題を投げかけるような、真に文化の名に値する文化の発信基地になって下さい。

松浦賢二先生 【社会】昭和55年~平成5年

平成5年の3月まで北野に在籍。4月より茨木東高校に転勤し、今年の2月、茨木東高校で卒業生を出しました。1、2、3年生をもちあがると、学校の全体像も見えてきます。これから茨木東高のために頑張ってみようかと思っていた矢先、知事事務部局私学課に出向することになりました。仕事の内容は、私立高等学校教育振興研究事業の研究員として、2年間、研究指定校で調査研究を行なうということで今年度から始まった事業のため、まだレールがはっきりしていません。やっていることは、月~木は金光八尾高校で世界史の授業をし、金曜日は私学会館で他の研究員と研究・協議といった状態です。最終的には、府の教育の活性化をはかるための方策を考えることになるだろうと思っています。 今年の6月、用事があって北野に行きましたが、私がいた時のままの校舎を見て、とても懐かしく思いました。

Last Update : Sep.20,1997

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