梅沢由子(旧姓井上)先生
【国語】
昭和23年~昭和24年
- 旧職員を名乗るのもおこがましい程、北野との御縁はたった一年という短いものでした。学制改革の時、大手前から女子生徒を連れて赴任しました。はじめて 男子生徒に接するというカルチャーショックの中、夢中で過ごした一年でした。頼りない教師だったに違いありませんが、私にとっては充実した楽しいときで あったと感謝しております。 退職してからも、その時の生徒の方々のご厚情をいただき、特に当時担任だった一年四組の級会を今も毎年一回開いて下さり、旧交をあたためております。誠 に有り難く教師冥利につきる思いです。現在は、寄る年波、如何ともしがたく、医者通いに忙しいような有様ですが、一応主婦業を普通にこなす程の健康に恵まれています。そしてささやかな書道教室の講師をつとめることをはげみに一日、一日を大切にすごしております。
雫石鉱吉先生
【国語・漢文】
昭和23年~昭和41年
- 当年87歳、独居。でも近所にいる娘2人が毎週1回ずつ夕食を作りに来てくれるし、近所の息子の所へ毎週1回泊りに行く。北野には52年の教員生活のう ち、18年間在勤した。娘(71期)、息子(75期)、孫娘(99期)、孫娘(104期)と関係深い。3歳のひ孫が北野に入るとすれば、私は100歳まで 生きなければならない。
箕田正武先生
【国語】
昭和40年~49年
- 病気の為、入退院を繰り返している現状です。
村井正三先生
【国語】
昭和38年~昭和61年
- 卒業生諸氏の母校には23年間在職したが、顧みると、昭和25年から平成9年までの48年間、京都を振り出しに奈良・大阪2府1県の公立高校を経て、清 風南海学園を、終のすみかにしている現状である。昭和2年生れの私は、既に「古稀」にも拘らず、乞われるままに教壇上をうろうろしているが、いよいよ年貢 の納め時と悟り、今年度を以て教壇におさらばする。学徒出陣で多少とも軍歴のある私は、生き残って戦後第二の人生を、胃潰瘍の手術後は、第三の人生を、公 立高校退職後は第四の人生を、そして私学を退職して、いよいよ最終ラウンドの第五の人生に突入するつもりでいる。23年間の北野生活、その時期(昭和38年~昭和61年)の北野高校は、すべて可にして、特筆すべきことなく、天下に君臨したよき時代であったろうと思う。ともあれ、23年間在職した北野高校の卒業生諸氏に幸あれかしの思いや切である。
Last Update : Sep.22,1997