北野に着任して
西川昭子先生

一つはヘビ事件ってのがあるんですがね。グランドピアノの中にヘビ入れといたらしいです。私が気づかなかったから、あれは生徒にとったら 面白くなかったん違うかなぁ。あの西川やから、きっと怒って真っ赤になるで~って期待してたんでしょうけど。私思うに、正義感のある生徒がチョイとつまみ だしたん違う?それもね、因縁話があるのよ。その男の子の娘さんが北野に来てね、その娘さんがちょっと問題起こして、担任がそのことで自宅を訪問したとき に言いはったのよ、「僕がヘビ入れたんです」と。言わないでもいいのにね~。その期の同窓会は何とかかんとか理由つけて、絶対行くまいぞってしてたんです けど、こないだ行ったらその卒業生に謝られましたよ。「わるかったね、そのとき私びっくりせんと。ヘビを見たら私、びっくりしたげたんやけど …」って言いましたよ。誰からか伝わって竹内校長がその話を知られて、そのことで職員会議があったのです。でも、自分がしっかりしてなかったからそうなっ たと思い、恥ずかしかったのです。
北 野はすばらしい先生ばっかりでしたね。最初に教務に配属されて、石田千代之輔さんの隣の席に座らされて、職員会議の記録をせんといかんのです。それの記録 を作んのがむつかしくてねぇ。その日は下書きで、あくる日一日かかって清書して出してました。あるとき、藤尾正直先生が発言されて「実はそのことは何年前 の何時の職員会議のときに言っております。いっぺん調べてみて下さい」と。そしたら、その通りなんですよ。それで、すごい人いはるなぁと。そうかと思うと 会議の間、椅子の上であぐらかいてはって、で、何かの件で「…先生どう思いはりますか」て言うたら「ぼくは聞いてなかったです」。そんな先生もいてはりま した。村川行弘先生はね、時間が遅くなったらね「もう、うどん頼みましょか」言うてね。石田千代之輔さんなんかほんと礼儀正しい方だなあと思いました。生徒に職員室でしゃべっておられるのに「そうですねぇ。わかりましたか」言うて ね。そのとき成績一覧表の記述の仕方を変えようということがあって、その案を教務で練らんといかんのですね。私なんか全然タッチしてないんですけど、石田 千代之輔先生がほとんど全部一人でされて ― 今もそれ使ってると思うんですよ ― それでできあがった原稿を私のとこへ持ってきて「西川先生、これでよろしいですか」言われて、もう私、穴があったら入りたいと思いました。何にも批評する こともできないんですけどね、それでもそういう風にきっちり礼を尽くしてくれはる。その頃の北野の先生は専門以外にきっちりしたものを一つもってらした。 川副昭人先生は『蝶類』で有名でしょう。柏尾洋介先生は必修クラブがあったとき『ドイツ語』を教えてはりました。
いややったんはPTAの主任になれ言われたとき、やめますと言いましてねぇ。何がいやか言うたらね、入学式すんだ後、校長先生が挨拶され るでしょう、そしてその次に同窓会の会長がお祝い言うでしょう。後は父兄だけ残して、生徒、中へ入った後ね、PTAの主任が挨拶するんですよ。あれがいや やったんです。姪がまだ小さい頃、家へよう来てたんすが「おばちゃん、上へあがって『挨拶です』言うたらええやんか」言うたこと、今でも覚えています。
女 の先生は当時少なくてね、数学の乗岡フミ先生、家庭科の高田貞子先生、西川(伏谷)ノブ子先生、体育の大前寿先生。女の先生はそんなに多くないもんだか ら、新しく女の先生が来られると、家庭科の調理室のところで家庭科の先生がお料理して下さってね、歓迎会して下さるんです。そのとき大前先生が高田先生を さして「この方が『おおあねえさま』ですよ」と言われたことが今でもよく覚えているんですよ。ほかに体育の石橋尚美先生 ― 山根為雄先生の奥さんになられた方。中学は女の先生が多いんで私なんかいじめられるまとだったんです、古い先生に。そやから北野へ行ったら、なんとまあ晴 れ晴れしてねぇ、担任はないし、いじめもないし、だからいまだに高田先生、ノブ子先生ともお付き合いさせてもらってます。
高田先生が私にね「西川さん、あなたたち若いんやから、もうちょっと赤いもん着てきたらいいのよ。ここの学校はうす暗いので明るいものが 着にくいのかもしれないけれど …」と言われたんですよ。それから、行ってすぐぐらいのときに瑞光に荷物を取りに帰るときに、これから瑞光中学へ参りますということを教務主任の先生に ちゃんと言って行ったと思うんです。そしたらそうじゃぁなくって、国語の川井先生に言うて行ったから、放課後、私がいないいうので、高田先生がおトイレか ら全部開けて捜して下さったんですよ。それを聞いたとき高田先生って何てやさしい方なんだろうとうれしかったです。
私は北野ではとても大きくかわいがってもらったと思うんです。瑞光やったら授業でも全然困ることはなかったんですが … だけどいまさら何を泣き言いうて帰らりょかと、しんどいときがありました。そんな頃、3階の廊下を歩いていたときに、藤尾先生が「西川さん、大丈夫か」 と、それだけ言うてくれはったんです …「しんどいのか」じゃぁなくって。私はあれで一杯しんどいこと言うてベチャベチャとやってたらくずれてたかも知れないと思います。私が退職し、藤尾先生 もおやめになってからですが、藤尾先生に「あのときはうれしかったですよ」と言えました。
聞き手●今城文雄(78期)、岸田知子(78期)、石倉秀敏(84期)、佐伯新和(98期)、
谷 卓司(98期)、磯辺 香(107期)、岸田逸平(108期)
収 録●Dec.19,1998
(京都市左京区岡崎のお宅にて)
Update : Mar.23,1999