阿部俊一先生の告別式に参列 (六稜合氣会長:黒岩暎一)
日時:2011年5月21日(土)午前11:00-12:30
場所:千里会館
<故人の紹介、喪主の挨拶より>
1 平成23年5月18日午後2:10死去
2 96歳
3 大正4年3月26日生
4 北野高校にて35年間書道の指導。65歳定年まで
5 昭和37年道場開設(天之武産合気塾:吹田市)
6 大学、各国の合気道を指導
○京大、京都府大、同志社、
京都工繊、大阪府大、
大阪市大、神戸大、鳥取大、島根大、
琉球大、アメリカ、ペルー、フランス、
ロシア、シンガポール、・・・
7 戒名:虚空院醒悟日俊居士
(家族より「気」も文字を入れて欲しいと希望。日蓮宗では入れられない)
8 喪主:阿部義之(長男、70歳)、
土屋美津子(長女)
田中伊都子(次女)
9 阿部義之先生のご挨拶の要旨
0 多数にご参列頂きありがとうございます。
通夜には550名参列を頂き本日は、さらに
それを上回る状況です。
① 父から、書と合気道を教わりました。
② 書については、若いときから
「気がいかに入るかだ・・」
「毎日、書け。たくさん書け。
それ以外方法はない」
と言われた
③ 毎日、書いていた。
そして、「自分の好きなように書いていてはだめだ。
臨書をしろ」といわれました
④ それが40代、50代になって漸く
体が自由に動くようになり、書く事ができるようになった。
毎日書いていた事が、自分の貯金となり、今に繋がっていおると思う。
⑤ 合気道の植芝盛平翁は私が、中学、高校の時から
我が家においでいただいていた。
⑥ 家族のようなお付き合いでした。
⑦ しかし、道場に入ると目つきが変わられていた。
厳しい目でした。
⑧ そして道場からまた、我が家へ入られると
別人のように、いいおじいさんでした。
⑨ 大先生から「最後は力ではなく気だ」、
「もっと気をだせ」と言われ続けた。
⑩ よく大先生と父が二人で手と手を合わせていましたが、
「全然、気が出ていない」
と父もよく怒られていました。
⑪ 気を出せるようになったら、
次は「気を合わせろ」と言われた
⑫ 「自分の気と相手を合わせる。
次は世界の気と合わせる、
そして宇宙と気を合わせる」
と言われていました。
どうすれば宇宙と合わせられるのか、未だに、
よくわかりません。
⑬ そして「螺旋(らせん)」でいかに
いかすかと言われていました。
⑭ 私は現在、70歳です
⑮ 父の96歳まであと26歳もある。
⑯ どれほどできるかはわかりませんが、
引き続き書と合気道をやって行くつもりです。
⑰ 父同様に今後ともよろしくお願いいしまして
御礼のご挨拶とさせていただきます。
(以上)